東横堀川

ワードネットのある第17松屋ビルを出て
左(東)を見ると生駒山が見えます。
ここは熊野街道と暗越奈良街道
2つの街道が重なる場所。
 
少し東へ上り、南へ行けば熊野街道
そのまま東へ行けば暗越奈良街道
いろいろな人が、いろいろな想いで
奈良へ、熊野へ向かった道です。
  
ビルを出て西へ坂を下り
松屋町筋を過ぎると東横堀川があります。
東横堀川にかかるのは安堂寺橋。
2つの街道へと続くこの道は
心斎橋筋・御堂筋を越え西横堀まで
ここから安堂寺橋通と名を変えます。
  
東横堀川は天正13年(1585)
豊臣秀吉の命で大阪城の外堀として
土佐堀川から続く堀を開削。
西は船場、南は島之内の商人の町。
東は上町台地の寺町や武家の町。
 
東横堀川は島之内あたりで直角に曲がり
道頓堀川となり木津川に流れ込み
大阪湾へと流れていきます。
 
城を護る堀として作られた東横堀川は
人や物を運ぶ水運の役目をも担いました。
また江戸時代には西横堀川との間に
西鶴・近松の作品でも描かれた遊郭があり
東の門はこの安堂寺橋だったとも。
 
東横堀川は往時の面影を残しつつも
いまでは上を阪神高速道路が走り
陽の届かない残念な景観。   
それでも吹く風が水面を揺らすと
一瞬、往時の様子が浮んできます。

貼らないカイロ

奈良二月堂のお水取りも
あと数日で満行を迎えいよいよ春。
昼間は上着がいらない日も多くなり
待ちに待った春。
スギ花粉がおおはしゃぎで飛散するのは
歓迎できないけれど。
 
冬の間、随分お世話になったカイロも
ジップロックに入れてまた来年の冬。

カイロと言えば…色々種類があり
靴下に貼るカイロとか
靴の中に敷くカイロとか
直接肌に貼るカイロとか
みんなそれぞれ頑張ってくれた。
 
そんなコトどうでもいいし。
…と言われるかもですが。
今年よく使ったカイロのネーミングが
どうしても気になる。
 
「貼らないカイロ」
「貼れないカイロ」
 
それぞれのカイロの気持ち
考えたことあります?
ないですよね。
 
「貼らないカイロ」
貼らない目的で買われたカイロ。
ポケットや手袋の中で役に立つ。
カイロ当人もポジティブに
自信をもって仕事してる。 
きっと胸張って前向き。
 
「貼れないカイロ」
貼れたらいいのに…ま。いいか。
あかんヤツみたいな名前がネガティブ。
だってCan’tです。
カイロ当人は卑屈になりそう。
「貼れなくてわるかったね」って。
 
カイロの気持ちを考えると
自信をもって仕事できるよう
来シーズンのネーミングはポジティブに
「貼らない」一本でお願いしたい。
なんだか温かさも違う気がしません?

ネーミングって大事。

金毘羅坂のお百度石

月に一回くらい、朝早くに高津宮へ行き
それから事務所へ向かう日がある。
歩くコースはたくさんあるけれど
お気に入りのコースがある。

高津宮から北へ地蔵坂を横切り
瓦屋町を通って空堀通商店街へと続く脇道
坂がきつくなるあたりに
島津家家紋に奉献の刻字の入った道標と
その反対側にお百度石がある。
  
天明八戊申(1788) の銘の百度石。
今は建物の際にひっそりと佇み
注意していないと見落としてしまう。
  
この細い坂道の名は金毘羅坂。
 
往時ここは金毘羅さんに続く坂だった。
もう坂の由来となった金毘羅さんはなく
商店街の片隅にお百度石と道標。
そして坂の名前以外に名残はない。
 
坂の由来となった金毘羅さんは
大坂三金毘羅の一つで
往時は賑わったようだが
明治時代に高津宮に合祀されたとか。
いまの空堀通商店街は
江戸時代の参道の名残とも。

往時は行き交う人も多く
きっと露店なども並んで
さぞ坂道は賑やかだっただろう
お百度参りの人も多かっただろう。

願いや祈りを胸に
社殿で手を合わせる多くの人の背中を
お百度石はずっとここで
見守ってきたんだね。

かなり早く家を出たはずが
あれこれ想いを巡らせていると
何故かいつもの出勤時間。

お百度石にそっと触れてから
目を閉じ手を合わせて
ちょっと急ぎ足で事務所へ向かう。

空堀通商店街をのぼり
谷町筋を渡って熊野街道へ。
そこはいつもの通勤路。

八重の梅

八重の桜ではないし
綾瀬はるかのファンでもないです。
「プリンセストヨトミ」の次に
この投稿になっただけ。
   
快晴の休日。南紀へ向かった。
この季節、田辺あたりから南は
車の窓を開けると梅の香りがする。
小さな控え目な花だから
目には止まらないけれど
香りで開花を知らせてくれる。
 
もう春だな…と
暖かい春が嬉しい気持ちと
ゆく冬を惜しむ気持ちが
なんとなく複雑で少ししんみりする。
 
海沿いのいつものスーパーに入ると
とてもいい香りがしてきた。
生鮮売場で魚介類を焼く香りではなく
存在感のある梅の香り。
  
香りのする方へ行ってみると
切り花売場には立派な梅の枝。
枝の名前は「八重の梅」
たしかに花びらが重なってる。
値段を見て驚いた…150円。
もう魚介類はどうでもよくなり
梅の枝を買って車に乗せた。

家に連れて帰ると
以前からそこにいたかのように
二階の和室で枝を広げ
蕾をひとつひとつ丁寧に開き
毎日家に帰ると
春の香りで迎えてくれる。
  
そして開ききった花は
ひとつひとつそっと散っていく。
 
畳に落ちた花びらを
手の平にのせようとすると
少し空気が動いただけで
すっと逃げてしまう。
そういえば桜の花びらのように
地面を覆う梅の花びらを見たことはない。
 
華やかではないけれど穏やかな花。
そっと春を告げて
そっと散っていく
そして実を残す
以前から好きだった梅。
今年はいっそう愛おしい。

プリンセストヨトミ

久しぶりに空堀通商店街を
松屋町筋から谷町筋まで歩いてみた。
結構な勾配で地下鉄一駅の距離。
アキレス腱が思い切り伸びる。
  
長い長い歴史の残るこの界隈は
映画「プリンセストヨトミ」の舞台。
 
映画では、綾瀬はるかや堤真一、
岡田将生がこの商店街を
全速力で走っていたけれど
私には絶対ムリです。走りません。
 
ご記憶の方もおられるかもしれない。
中井貴一演じる真田幸一が店主だった
路地奥のお好み焼き屋「太閤」を。
(彼は大阪国総理大臣なのだ)
 
空堀商店街の路地奥には
その店が映画から抜け出たような
昭和32年創業のお好み焼き屋
「ことみ」があった。
残念ながら、あった…だ。
 
頑固で無口な職人のおじいちゃん。
腰の曲がった可愛いおばあちゃん。
お2人で営まれるお好み焼き屋さん。
おもしろいお店の「ルール」があり
はじめて行った時は
注文の仕方からあれこれと
常連さんが教えてくれた。
  
事務所を立ち上げた頃から
コロナ禍前までよく行ったけれど
残念ながらコロナ禍中に閉店された。
    
今も路地奥にはお店の建物が見える。
でも店の場所がわかりにくいから
開店時だけ商店街にポツンと出ていた
「ことみ」の赤い看板はもうない。

「プリンセストヨトミ」はフィクション。
でも上町台地、特にこの界隈を歩くと
いや。ひょっとして?…といつも思う。

安堂寺町のこと

ワードネットは安堂寺町にあります。
正確には安堂寺第17松屋ビルにある。
安堂寺ってお寺があるかと言えば
無いです。正確には今は無い。
お寺はあるけれど安堂寺じゃない。
 
昔…と言っても『日本書紀』の時代。
1000年前やそこら最近の時代ではなく
もっともっと昔のこと
古代の話になってしまうけれど
『日本初期』に記述されている
「安曇寺(あんどじ)」が転訛し
「安堂寺」と呼ばれるようになった。
…という説が一般的。
他に阿曇氏(安曇氏)の拠点が
この辺りにあったからという説も。
 
ちなみに阿曇氏(安曇氏)とは
海神綿津見命の後裔の神別氏族。
信州の安曇野を拓いたのも安曇氏。
日本各地にいた海人集団で
大阪のこのあたりは海も近く
古代より海運の要所となったので
この説にも納得。
 
話が壮大になってしまうので
「安堂寺町」は古くからある町名。
熊野街道が通る町…ということで。
  
狭い地域だけれど、古い町並が残り
「安堂寺」じゃないけれどお寺も
小さな祠や神社もある。
おしゃれなお店やマンション
事務所ビルもあれば昔ながらの商店も。
行列のできる蕎麦屋にインド料理
美味しい珈琲のカフェ…など
あれこれ盛りだくさんの町。

今年もあれこれ楽しみながら
大好きな町でがんばります。

冬の紅葉

朝の通勤途中に時々立ち寄るお寺
中庭の手水鉢を覗くと色づいた紅葉が。
例年ならば秋に見る光景
今年もあと2週間で忙しなく
街中がクリスマス気分の中
なんだかほっこりした。
 
そう言えば今年の秋は短く
いつまでも暑いと思っていたら
急に寒くなり、秋を通り越し
一気に冬になった気がする。
 
紅葉もきっと色づくタイミングを
逃してしまったのだろう。
でもそう思うのは人間だけ。
 
彼たちは気温の変化に忠実に
こうして色づいている。
事務所に向かう足を止めて
紅葉にエールを送りたくなった。
  
人間もきっと
自然の変化を素直に受け入れ
先人が残してくれた暦や
季節の行事・習慣に従って
毎日を過ごしていけば
もっと豊かな気持ちで
毎日を過ごせるように思う。

そして追われるように
年末まで走り続けるのではなく
「今年もいい年だった」と
笑顔で一年を締めくくれると思う。
 
あなたにとって
今年はどんな一年でしたか?

師走の街

いつも歩いている街並が
この時期はどこもクリスマス気分。
華やかなキラキラした飾り付けに
ついつい足を止めて眺めてしまう。
 
そういえば毎年この時期になると
亡き父がブツブツ言っていた。
「日本人はお盆だ、彼岸だと
 寺に行って仏に手を合わせる。
 そのくせに、ハロウィンだの
 クリスマスだのと浮足だって 
 七五三だ、年末年始だと
 神社にいく…ったく一貫性がない」

たしかにショッピングモールも駅も
クリスマスの翌朝には
みごとに正月の雰囲気になっていて
「春の海」が流れてたりする。
毎年わかっていてもびっくりする。

父の言うこともわからなくはない。
でもその季節ごとの演出は
気分があがるし、悪くないよね。
まぁ。堅苦しいことを言わずに
宗教や信仰の問題もおいといて
この時期を楽しめばよいのだと思う。
  
御堂筋のイルミネーションも始まり
あまりに綺麗で、車の渋滞も気にならない。
むしろ眺める時間が嬉しかったりする。
 
御堂筋を端から端まで
車でゆっくり走るのも素敵。
ゆっくりと歩くのも素敵。
 
御堂筋とは本当に長いおつきあい。
イルミネーションを見てると
色々なことが浮かんでくる。
「師走は忙しいから」と
駆け抜けてしまわずに
ちょっと立ち止まって
想い出に浸るのも悪くない。

「旬」広辞苑にはこう書いてある。
 
①(旬政・旬儀・旬宴の略)古代、
 朝廷で行われた年中行事の一つ。
 …中略…
②魚介・野菜・果物などが
 よくとれて味の最もよい時。
③転じて、物事を行うに適した時期。日。
 
ざっくりだけど
その時期に適したモノ・コトな感じ。 
食べるモノはわかりやすい。
今一番採れる、出来る
美味しく食べ頃のモノ。
もちろん栄養価も高い。
それは物事でも同じだと思う。
適した時期がある。
 
日本には四季があって、
四季それぞれに旬の食べ物がある。
ハウスや工場で野菜や果物が栽培され
いつでも欲しいモノが手に入る時代。
 
でもね。
四季それぞれの体調に合った
自然に逆らわないモノを食して
寒い時は寒いなりに
暑い時は暑いなりに
暮らしていけば良いように思う。
  
真冬に屋外で西瓜を食べたくはない。
ギラギラ太陽が照り付ける夏に
空の下で食べる旬の西瓜は最高。
でも真冬は熱々の焼き芋がいい。

野菜にも果物にも穀物にも
ゆっくり季節の移ろいの中で
その季節の雨や太陽を浴びながら
ちゃんと育って欲しい。
その恩恵を感謝しながら頂きたい。

人間も同じ。自然の一部。
自然に逆らうことは不自然。
いや、逆らうことはできないはず。
自然をコントロールした気になり
調子にのっていると
必ずひずみが生じてバランスを崩す。

先人が残してくれた知恵を大切に
季節の暮らし方や文化を学び
旬のものを口にして
時間を重ねていけたら
身体も心も健康に豊かになる気がする。

今夜は季節の野菜で鍋だな。

栴檀林跡

事務所への電車通勤
毎日ではないけれど
地下鉄には乗らず「熊野街道」を歩く
たしかに私は地下鉄が嫌いだけれど
あれこれ往時をしのびながら
熊野街道を歩くのが好き。
   
谷町九丁目から八丁目のあたり
熊野街道から少し西に入ると
夕願寺という小さなお寺の前に石碑がある。
 
「立正学院 旧大阪本化栴檀林跡」
 
説明も何もない。
でも「栴檀林」とは
僧侶が集まる仏教の学問所のこと。
そして「本化」とは日蓮宗を意味する。
つまりここは日蓮宗のお坊さんが集まり
学んだ場所だったのだろう。
  
今は石碑を残すだけで
詳しいことはわからない。
 
でもやたらとお寺の多い上町台地に
僧侶の養成機関があったとしても
まったく不思議はない。
 
栴檀林はあちこちにある。
学林、僧林、栴談林とも言う。
 
浄土宗の関東十八檀林とか
日蓮宗の下総や飯高檀林
天台宗の関東十檀林
曹洞宗の江戸吉祥寺に
真言宗は田舎檀林と称して
各地に檀林を作ったらしい。
檀林を基とした大学もある。
 
ややこしいことはおいといて…
 
このDiary にも時々書いているけれど
上町台地には医学から宗教まで
学びたい人が学べる場所があった。
浄瑠璃や文壇など
後世につながる文化も生まれ
日本経済の基礎を築いた舞台でもある。
 
大阪と言えばコナモン!
…だけではないのですよ。