元住友家本邸ビリヤード場

南船場にあった旧事務所の窓から
長堀通の向こう側に
窓のない大きな建物が見えた。
地図に施設名は書かれていない。
 
鰻谷南通を挟んだところに
三井住友銀行事務センターがあり
銀泉データセンターかもと思う。
     
その敷地の東側に
「住友銅吹所跡」と
「元住友家本邸ビリヤード場」がある。
    
ビリヤード場の壁は土蔵造り、
屋根は瓦葺き、和洋折衷で
今見ても本当に素敵な
文明開化期の擬洋風建築。
独立したビリヤード場としては
我が国最古のもの。
ここには住友家の屋敷があった。
  
寛永年間(1640年頃)
上町台地より西の東西横堀川と
道頓堀、長堀に囲まれた島之内。
ここに大規模な住友銅吹き所があった。
 
住友家は平家末裔の戦国武士だった。
家の「家祖」と事業の「業祖」がおり
とても長い長い複雑な歴史がある。
  
住友家と精銅の歴史の端緒は
天正19年(1591年)住友理兵衛友が
泉州堺浦に来た明人の白水から
「南蛮吹き」と称される
粗銅から銀を分離する精錬法を
学んだことから始まった。
   
当時の日本では、まだ粗銅の中に、
金・銀等が含まれていると知られておらず、
金や銀を分離する精錬技術もなかった。
 
この「南蛮吹き」で住友家は
粗銅から銀を取り出し、
膨大な利益を上げるようになった。
  
明治9年に銅吹所が廃止され
この敷地は住友家の邸宅となった。
明治12年には洋館や庭園が造られ
その東側にこのビリヤード場が建てられた。
 
初代住友政友が350年前に残した言葉
「確実を旨とし浮利に趨らず」
そこには社会、国家を背景とする考えがあった。
 
事業や企業だけのことではなく
信用を重んじ確実を旨とする…
この姿勢は誰もが大切にしたいこと。
 
時代の進化が加速する今
先人の教えに立ち返る時かもしれない。

事務所からの眺め

1995年から2012年まで
WORDNETは南船場にあった。 
  
その頃から今の事務所のあたりや
古い街並みが残る谷町界隈が好きで
近鉄上本町駅から歩いて通勤したり
気分転換に自転車でウロウロ。
    
熊野街道にある今の事務所は
当時の南船場の事務所と
ほんの1.5㎞ほど離れただけなのに
情緒があって素敵な通りだった。
 
『このあたりに事務所があればいいな』
とずっと思っていた。
 
当時の長堀通に面した事務所は
南向きのベランダがあったけれど
車の音や人の声、信号の音
観光バスが待機するエンジン音で
お天気がよくても窓は閉めたまま。
落ち着かない場所になっていた。
  
家賃も翌年より値上げになるので
少し前から移転を考えていた。
   
今の事務所ビルの前で立ち止ると
お掃除されてる管理人さんと目があった。
 
『このビルは大きな部屋ばかりですか?』
…とお尋ねすると
『小さな部屋あるよ。』
しかも一部屋空いているらしい。
『見てみる?』と言っていただいた。
    
ビルに入るときれい。そして静か。
谷町筋と長堀通の直近とは思えない。
  
部屋に入ると北側の壁が一面窓。
北向きだけど、本当に明るい。
窓からの景色はマンションやビルだけど
間に低い民家が多く大きな空間がある。
 
見晴らしいがいい。空が近い。
北西のビルの間に六甲山が見えた。
即決でここに引っ越すことにした。
 
今でも、窓からの景色は
いろいろな表情を見せてくれる。
昼間は明るく、大きな空が見える。
夕方はちょっと西へ目を向ければ
美しい夕焼けが見える。
夜はマンションやビルの灯りが美しい。
 
好きな場所で仕事ができる。
熊野街道にある小さな事務所で
珈琲を淹れながら
『素敵』といつも思う。