パキラ

事務所のドアをあけたら
天井まで伸びたパキラがいる。
朝は必ず「おはよう」と声をかける。
  
もとパキラ…と言った方がいいくらいに
一枚一枚の葉っぱがでっかい。
スクスク育って天井まで伸びて
今度は横向きに枝を広げている。
  
15年以上前の話。
ホームセンターのレジで並んでいる時
レジ横に枯れかけた鉢が置いてあった。
このパキラはその中のひと鉢だった。
 
3本のパキラが三つ編みになった
プレゼントしたら喜ばれる
よくあるおしゃれな鉢植。
3本のうち2本が枯れていた。
でも残り1本は元気に葉をつけていた。
「この鉢はどうするんですか?」と聞くと
「枯れたから廃棄です」と店員さん。
 
まだ元気な木があるのに…と思っていると
「よかったらもっていってください」
以心伝心とはこのこと。
パキラと私の目があった。
お礼を言っていただいて帰った。
   
事務所に連れて帰った40㎝程のパキラ。
2本は枯れていったけど
1本は超元気でスクスク育っていった。
  
数年後今の事務所に移転する時
倍以上に大きくなったパキラは
鉢の土を落とさないよう
ビニールでグルグル巻きになって
一緒に引っ越してきた。
 
前の事務所よりも陽当たりが良いせいか
遠慮なくガンガン伸びて
今では天井に届いて窮屈そう。
頑丈な太い木になってる。
 
木と人もご縁でつながっている。
  
事務所に来て下さった方によく聞かれる。
「これってなんの木?」
「もとパキラです」

八軒家浜

平安時代、上町台地の北の端に
渡辺津という港がありました。
 
古代の難波津が発展し
大江、国府津、窪津、楼津とも呼ばれ
摂津国の政治の中心地となり
戦国時代はもちろん各時代で
この港と川は重要な役割を担い
海陸交通の要として栄えました。
 
江戸時代、船宿などがこの地に
八軒並んでいたことから
「八軒家浜」と呼ばれ
京と大坂を結ぶ「三十石船」の
ターミナルとして淀川舟運の要衝に。

そしてここ八軒家浜は熊野三山への参詣道
「熊野街道」の起点。
   
八軒家浜は多く文芸・美術作品に描かれ
「東海道中膝栗毛」
「浪花百景 八軒屋夕景」
などは、ご存知かと思います。
 
八軒家船着場跡の石碑から西へ歩くと
船宿「京屋忠兵衛跡」があります。
京屋は新選組の定宿。
尊皇志士や新選組は、
ここ八軒家浜から船に乗り
幕末の京・大坂を駆け抜けました。
坂本龍馬とお龍のご縁もここから。
 
お龍は大坂丼池の遊郭に
騙されて売られた妹を取り返すため
京屋に泊まり、懐に短刀をしのばせ、
ひとり遊郭に乗り込んで
妹を助け出したと言われています。
いやぁ。かっこいい…
 
龍馬は京伏見の寺田屋を定宿とし
大坂では京屋の東隣「堺屋源兵衛」を
宿としていたそうです。
 
現在の八軒家浜は川を埋め立て
往時よりも北にありますが
川は変わらずに流れ続けています。
そして歴史も変わらずそこに。
 
八軒家浜に立ち、水面を眺めると
往時の様子が浮かんできます。