桜は身近な花。
次々に咲く花は華やかだけれど
それでいて少し物悲しくもある。

どこにでもあるのに
開花を知らせるニュースまで。
ちょっと特別な花です。

桜の思い出は誰にも
ひとつやふたつあると思います。
毎年この季節に思い出す場面や
桜にまつわるエピソードを
お持ちではないですか?
 
こどもの頃
桜が満開になると、
役目を終えた花びらが
自宅近くの川を流れてきて
川面を桜色に染めました。
 
その桜がどこから流れて来るのか
どうしても知りたくて
友達と2人、満開の桜が続く川沿いを
自転車で遡ったことがあります。
 
どこまで走っても桜が満開で
その美しさは今も鮮明に覚えています。
このお話のオチは
両親からの大目玉ですが。
 
そのころ、自宅前の通りには
各家に一本ずつ桜の木があり
春になると桜の回廊になり、
ご近所集まってお花見も。
でもリノベーションや取り壊しで
今では通りの桜は2本だけ。 

この2本の桜、川沿いの桜、
近くの公園の桜も
いまでは大切な幼馴染です。
 
この季節。桜が咲くと
桜の木に声をかけます。
今年もまた会えて嬉しい…と。

鍵曲

上町台地、とくに空堀界隈には
複雑に曲がった道や
曲り角が多くあります。
 
これはよく武家町にみられる
複雑に折れ曲がる道。
『鍵曲(かいまがり)』の名残り。
   
攻め込もうとする敵は
曲がり角では見通しも利かず
速度を落とさなくていけません。
 
護る側は大きな高低差を利用し
見通しが利き見張りやすく
上から迎え撃てるという
城を中心とした
強固な護りの工夫がありました。
  
空堀商店街を南北に横切る道は
今も『鍵曲』そのままの道が。
で…
 南→北へ歩くと攻め込む気分
 北→南へ歩くと迎え撃つ気分
…にはなりませんが、
独特の緊張感があります。
    
歴史が重なる上町台地。
散策が気持ちいい季節です。
お寺や神社の桜も
そろそろ咲き始める頃。
スマホの古地図を見ながら
好きな時代へ。

春火鉢

春頃に使われる俳句の季語。  
 冬の間ずっと使っていた火鉢が
 春になってまだ置かれている。

この時期は朝夕に残る寒さに
まだまだ暖をとりたい日も。
火をいれなくても、
そこに置いてあるだけで
なんとなく安心感があります。
 
昨年の夏、自宅の押入れで
祖母の火鉢を見つけ
冬になったら使おうと
灰・炭・火鉢箸・火熾鍋…
半年がかりで準備をし
秋から使い始めました。
   
寒い!暖まりたい!と思っても
エアコンやストーブと違い
スイッチはどこにもなく
寒い中、約20分かけて火を熾す。
  
黑く輝く美しい備長炭が
徐々に赤くなり呼吸を始めると
まず気持ちが暖かくなります。
 
熾った炭を火鉢に入れても
置き方がお気に召さないと
炭は仕事をしてくれません。
火鉢に手をかざし
炭火のご機嫌をうかがっていると
少しずつ身体が暖まります。
 
昔、人間は「火」と出会い
火を操るようになり
豊かな暮らしを手に入れました。
物理的なことだけではなく
「火」という生き物の
素晴らしさや怖さを知り
暖かさに安心や喜びを感じ
きっと気持ちの豊かさも。
 
ストーブやエアコン、
ホットカーペットに床暖房
それは本当に便利で快適。
 
でも炭を熾して
火と対話しながら暖をとる。
それは優しくて暖かく
ちょっと違う素敵な時間です。 
    
 春風が
 嬉し寂しい
 春火鉢

桐の木

上町台地から松屋町筋を越え
船場界隈を歩いていると
あちこちに桐の木があります。
 
お寺や町屋の塀の向こう
小さな公園やちょっとした緑地帯
東横堀川沿いの小径や
ビルの裏の狭いスペースにも。

桐の花言葉は「高尚」
中国神話の霊鳥である鳳凰は
桐の木だけに止まるそうです。
花が紫ということもあり、日本でも
神聖な木として大切にされてきました。
 
で?あちこちの桐がどうした?です。
 
桐は15年程で成木になります。
大阪の商家では女の子が生まれると、
庭に桐の苗木を植えて育てて
成人した時にその木で箪笥を作り
嫁入り道具にして嫁がせる。
…という風習があったそうです。

女の子が生まれた時に
桐の木を植える風習は
武家や農家にもあったようですが
この界隈に残る桐の大木の多くは
かつて商家の屋敷があった名残。

普段は気づかないかもしれません。
でも4月頃から紫の花を咲かせます。
そして葉はご存知の「桐紋」の桐。
  
ビルの間の桐の大木を見ると
大きなお屋敷があった頃の話を
語ってくれないかな…と
桐の木に話かけてみたくなります。

付くか付かないか

本棚を整理していたら
辞書からメモがでてきた。
「LittleとA Little、FewとA Few」
引用文を色々書いてある。

そうだった。
「A」がつかなければ否定。
「A」つけば肯定になる。
LittleとFewの使い分けはおいといて。

たとえば砂漠を歩いているとする。
水筒の水を見た時に
「もう少ししかない困った」と思うか
「まだ少しあるから大丈夫」と思うか
その後の展開が違ってくると思いませんか?

 もう少ししかない…と思うか
 まだ少しある…と思うか
 
 出来ることがほとんどない…と思うか
 出来ることがまだある…と思うか

その違いは、自身の感情が
 不安や不満に変わるか
 安心や感謝に変わるか

フィジカルにもメンタルにも
大きな差がでてきそうです。
 
コロナ禍の今
出来ないこと・不満探しをやめて
出来ること・楽しいことを探そう。  

本棚の整理は進まなかったけれど
「A」が付くか付かないか
その意味がちょっと響いた。

「A」をつけてみませんか。

とんど焼き

どんど。とんど焼。どんと焼。
地方により呼び方は色々。

とんど焼きは、
松の内までに外した注連縄などの正月飾りを
1月15日に神社で燃やし、その火とともに、
正月に迎えた歳神様を見送ります。
五穀豊穣、無病息災、家内安全を願う
とんど焼(左義長)という行事です。
 
毎年、事務所の正月飾りは
近くの高津宮(高津神社)の
「とんど焼」で燃やしていただきます。
   
神社だけではなく1月15日の朝早くから
刈り取り跡の田に竹や木を組み
その年に飾った門松や注連飾り、
書初めで書いた物を焼くところも。
 
地方によってはその火で
団子や餅を焼いて食べるところも。  
また、とんど焼きの灰を持ち帰り、
家の周りにまくと、その一年
病を除くと言われています。
   
ちなみに正月飾りの他に
お札、お守りも焼いて頂けます。
でも、お札やお守りは
できるだけ授かった所へ持っていき、
感謝を込めてお返ししましょう。
  
正月気分も完全に抜けて
エンジンがかかりましたか?
毎日寒い日が続いていますが
大寒が過ぎれば、次は立春。

十日戎

年が明けてはや10日。
1月10日と前後9日・11日は十日戎。
  
関西では西宮戎、今宮戎が有名で
福男や福娘のイベントが目立ちますが
十日戎は恵比寿様のお祭り。
 
恵比寿様(えべっさん)は
大漁追福・商売繁盛・五穀豊穣
をもたらす漁業・商業・農業の神様。 
一生懸命働くものには
福を授けてくださるそうです。
関西では「えべっさん」と親しまれ
十日戎のお祭りが盛んに行われます。
   
ワードネットは今も前事務所も
俗に言う「ミナミ」にありますが
今宮戎や堀川戎ではなく
28年前にご縁を頂いてから
ずっと「キタ」にある「豊崎戎」で
毎年福を頂いています。
今年も1年間飾った福笹をお返し
新しい福笹を頂いてきました。
  
十日戎は
商売繁盛を願う日ではなく
この一年、商売ができたこと
元気で過ごせたことに感謝し、
その感謝を忘れずに
また一年頑張ります…と
「えべっさん」に手を合わせる日。

坂の多い町

上町台地はほぼ平坦な道がない…
と言ってもいいくらい坂が多い。
名前のついた坂、名前のない坂
たくさんの坂があります。

事務所近くの『観音坂』は
谷町筋から少し入っただけなのに
車の騒音も聞こえず嘘のように静か。

昔ここには境内に見事な藤棚のある
「和勝院」というお寺があり、
御本尊が観音菩薩であったので
この名がつけられたと言われています。 
いまは坂だけが残っていますが
夕方に坂を降りると沈む夕陽が美しく
往時を偲ぶことができます。
 
観音坂から歩いて10分ほど。
高津宮へ続く石段の『相合坂』は
 北からあがる男坂
 南からあがる女坂
それぞれ男女が2つの坂を
両方から同時に登り踊場で出会えたら
それはとても良縁だと言われます。
 
上町台地を南にへいくと
有名な『天王寺七坂』があります。
真言坂・源聖寺坂
口縄坂・愛染坂
清水坂・天神坂・逢坂
それぞれの坂からの眺めは今も美しく
歴史ある坂ばかりです。

大阪の坂めぐりはいかがでしょう。

ジャネーの法則

今年もあと少しですね。
今年もあっと言う間でしたねー。
そんな挨拶が多い今日この頃。

そういえば、大人になると
子どもの頃より時間が早く感じる。
歳をとるごとに一年が早く過ぎる。
そう思われたことはありませんか?

これ 『ジャネーの法則』 です。

ジャネーの法則によると
=================
時間の経過の早さは年齢に比例し加速する。
  1歳の時の一年は全人生の1/1
  2歳の時の一年は全人生の1/2
 10歳の時の一年は全人生の1/10
 50歳の時の一年は全人生の1/50
=================

つまり年をとるごとに人間が体感する一年は
相対的に短くなるということですね。

でも自分で減速することもできます。
子どもの頃は初めて経験することが多く
日々の生活にワクワクドキドキして
新鮮味や発見がたくさんあります。

年齢とは関係なく
新しいことにチャレンジしたり、
色々な情報にアンテナを張り巡らせたり
一生懸命なにかに没頭していると
時間が長く感じるということです。

毎週末、趣味に没頭したり
なにか大好きなことを楽しんでると
『次の週末が待ちどおしい』と思えます。

あなたが夢中になれるものは何ですか?

浪華仮病院跡

大阪で医学と言えば…
緒方洪庵、適塾、大阪大学などが浮かびます。
医学にだけテーマを絞っても
大阪は数多くの歴史が重なった場所。
上町台地のあちこちには
歴史が動いた痕跡が色濃く残っています。
 
今日ご紹介するのは「浪華仮病院跡」
 
幕末から明治に時代がかわり、
新政府は大阪に医学専門教育学校と
病院建設を計画しましたが、財政難の為、
「大福寺」境内に仮病院を設立しました。
 
緒方洪庵の二男「緒方惟準」を院長に
オランダ人医師「ボードウィン」を
主席教授として診療をスタートしました。
ご存知のようにボードウィンは
幕末〜維新にかけて、日本各地で蘭学を広めた医師。
  
その後、病院は現在の大阪医療センター付近に移転、
そして「大阪大学医学部」へと発展していきました。 

また上町台地を西へくだり谷町筋を越え
「高津宮」へ向かう途中に、幕末〜維新時から
ボードウィンが寄宿していた「法性寺」があります。
「法性寺」は坂本龍馬が新選組に追われた時に
潜伏した隠れ寺だったという伝承も残っています。