道の真ん中の御神木

大阪市内には、道路の真ん中に御神木をお祀りする社が何ヵ所かあります。
 
当社から歩いて7~8分、谷町7丁目交差点東に楠木大神があります。熊野街道からほんの少し西の道路の真ん中に、15メートル程の御神木とご神木を護るように寄り添う大きな椚の木が立っています。
 
道路の真ん中にあるので歩道から手を合わせる人も多いですが、東側から4つの白い鳥居をくぐると祠があり、白蛇が祀られています。地元では「くすのきさん」と呼ばれ親しまれています。
 
戦前ここには「本照寺」というお寺があり、御神木はその境内にありました。戦争中の道路拡張工事の際、この御神木を伐採する計画もあったようですが、地元住民の反対があり残ったようです。その後も何度か強引に伐採しようとしたようですが、工事関係者に不思議な事故が起き、中止になったこともあり、今もこうしてこの地域を見守り続けています。
 
多くの歴史が重なりあう上町台地。歴史の表舞台には出てこない伝承や、歴史が動いた当時の名残がたくさんあります。

「くすのきさん」の近くには近松門左衛門の墓や、大阪で医学教育に貢献したボードウィン縁のお寺や場所もたくさんあります。
ちょっと時間ができた時、足を運んで歴史に触れてみませんか?

秋のお彼岸

もう9月…と思っていたら
もう秋のお彼岸。

こどもの頃。
秋の到来は彼岸花が教えてくれた。
お彼岸は、近所のおばあちゃんが
小豆を煮る香りが教えてくれた。
  
その頃は和菓子よりも
ケーキやシュークリームや
洋菓子が魅力的だったけれども
黄な粉をまぶしたおはぎは好きだった。
  
春のお彼岸の「ぼたもち」と
秋のお彼岸の「おはぎ」。
どう見ても違いがわからないので、
近所のおばあちゃんに聞いてみた。
すると「同じものだよ」と。
 
春のお彼岸には牡丹の花が咲き
秋のお彼岸には萩の花が咲く。
季節の花と一緒に
彼岸にいる大切な人に喜んでもらおうと
そう呼ぶようになった…と。

それが定説かどうかは別として
こども心に素敵だな…と思った。
そして、今でもそう思う。

夏の背中

今年の夏は雨が多かった。
コロナの影響もあるけれど
夏そのものがちょっと違った。
 
野菜の価格高騰に
花の咲くタイミングがずれたり
根枯れした木もあった。
 
人間だって御多分に漏れず。
外に出ない日が多かった。
海や山に行く機会も少なかった。
コロナのストレスもあり
ブルーな夏を過ごした人も少なくない。
 
でも過去を思い起こすと
日照りで取水制限や水不足となり
自由に水を使えない夏もあった。
雨が降りすぎた今年のような夏もある。
 
植物は枯れるものもあれば
じっと耐えて枯れないものも多い。
樹齢何百年、何千年の大木は
天候不順や自然災害に耐えてきた。
けれど人間も同じ。
何度も自然災害や疫病に耐え
立ち直って生きてきた。
  
心の持ちようはとっても大切。
 
雨が降らず水不足の夏もあった。
今年は雨が多かったけれど
水の豊かな夏になった。
 
出来ないことよりも出来ること。
悲しいこと、辛いこともあれば
嬉しいこと、楽しいこともある。
  
何百年、何千年という長い時間、
じっと過ごしてきた大木のように
毎日を毅然と過ごせたらいいね。
夏の背中を見送りながら。

二十四節気七十二侯

今年の8月は、2度目の梅雨が来たような雨が続きましたが、季節は確実に秋に向かっており、二十四節気では処暑(暑さがおさまる)。七十二侯ではもうすぐ『天地始粛』(暑さがようやく鎮まる)を迎えます。

二十四節気とは太陽の日長変化や太陽の光の量をもとにした暦。1年を二十四の季節に分け、その季節にふさわしい名前がつけられています。

七十二候は、二十四節気の一気(15日)を5日毎にわけ、初侯、二侯、三侯として、1年を72にわけたもの。季節ごとの鳥や虫、植物、天候などの自然の様子が七十二候の名前になっており、季節を5日に区切ることで自然の変化を知り、季節の移り変わりを示しています。
 
いろいろな季節の行事や生活の基準となる『暦』ですが、温暖化が進む昨今、少し様子が違ってきています。自然災害も増え、自然のバランスが崩れてきているようです。本来の自然とともにある生活を、私たち人間が見直す時なのかもしれません。

お盆やすみ

今年のワードネットのお盆休みは、8月13日(金)・14日(土)・15日(日)の3日間。
例年であれば、8月11日(山の日)から5日間ですが、今年はオリンピックで祝日があちこち移動し、夏の連休が増えましたので、お盆やすみは3日間とさせていただきます。

コロナ禍の夏。テレワークや、オンライン会議が普通になっている昨今、人と会う機会も減っています。お盆やすみも、例年のように帰省したり、人が集まったりすることも減り、お祭りやイベントも規模の縮小や中止が増えています。

でも、日本のお盆の持つ意味は変わりません。旅立った家族やご先祖様を迎える。それは形式的なものや法要でなくても良いと思います。故人が好きだった花を飾ったり、好きだったお料理を作ったり、日常生活の延長上で「家族やご先祖様」を迎えることに心を寄せてみる。そんなお盆もいいものです。

まだまだこれから暑い日が続きます。身体と心がホッとする休日をお過ごしください。

うだつがあがらない

事務所のあるビルのお向かいの和洋折衷の素敵な建物。お蕎麦処「文目堂」さんです。今日はこだわりのお蕎麦の話…ではなく、3階の壁の両端にある『うだつ』のお話。見えますか?この装飾された小さな壁が『うだつがあがらない』の『うだつ』です。
  
『うだつ』。もともとは隣家の火事の際、火が回り込み燃え移らないよう、延焼防止のため家と家の間の屋根を少し持ち上げて作られた防火壁のことでした。のちに家の壁から貼りだした袖壁の部分も『うだつ(袖うだつ)』と呼ぶように。お向かいの『うだつ』のように装飾的になったのは江戸時代中期からとか。
  
この『うだつ』をあげるためには、それなりにお金が必要。つまり『うだつがあげらない』のは、生活がよくならないから、地位があがらないから…ということで『うだつがあがらない』の語源となったようですね。商家などは富の象徴として競って立派な装飾をほどこしたようです。
  
ともあれ、『うだつ』はそれぞれの地域の特徴があります。文字の書かれたものや凝った装飾のものも。古い町並みを散策する時には、屋根や壁に気を付けて歩くのも楽しいものです。

長堀通が運河だった頃

むかし長堀通が運河だった頃、ここから船に乗り降りした名残りの階段。 
 
手前にもフェンスがあり、階段を登ることはできませんが、長堀通から見上げると、船が横付された時の光景が浮かびます。
   
上町台地には、古い町屋や建物、古き良き時代を語る建造物がたくさん。
奈良や京都の重要文化財のようなものではなく、いまなお、そこは普通の生活の場。

阪神淡路大震災で、古い家屋の倒壊も多くあり、耐震性の問題から取り壊しになる町屋も多く、狭い路地奥の木造家屋からの出火で人命にかかわる被害が多くでているのも事実。
大阪の古き良き街並の建物も年々減っていき、時代とともに往時のことを知る人も少なくなる。
 
いつしか通勤路の大好きな場所はスマホの中に。
その由来や伝説を調べたり関連ある場所に行ってみたり。お寺や神社でお話を聞かせて頂いたり。

事務所では、マウスとキーボードを相棒にモニターに向かって仕事。
朝と夕方は、もう今では目には見えない景色を観ながらの通勤。

ちょっと昔話

本棚の懐かしい本を開いて。ちょっと昔話です。
 
ワードネットは1995年に法人登記しましたが、その数年前に個人事務所としてスタートしました。まだPC98やワープロ全盛期。そしてMacが誕生した頃です。
 
Macの可愛いフォルムと、虹色のアップルマークに魅かれて購入したMacintoshSEは、とても仕事に使えるものではありませんでしたが、持っているだけ嬉しくワクワクしました。それがきっかけとなり、MacintoshⅡ導入から業務はデザイン寄りへとシフトし、何世代ものMacとのおつきあいが始まりました。
 
またその頃、富士通OASYSがWISWIG(What You See Is What You Get)対応となり、ワープロ専用機でのDTP業務も忙しくなり、仕事の幅が自然に広がっていきました。
 
今でこそリアルなイメージをモニターで見ながら作業ができますが、当時は仕上がりを想定してのコマンド入力や、横書表示で縦書文書を制作する作業だったりと、オペレーターは完成形をイメージしながら作業をしていました…ってピンとこないですよね?
 
その時代を知らない方には想像できないかと思いますが、横方向の画面の左から右が、縦書の上から下になるわけです。句読点なども、縦になることを想定し縦書用の「、」や「。」を入力しました。句読点などは、縦書用・横書用それぞれ別の文字が存在したのでかなり大変でした。その時代に仕事をしていたオペレーターは、自然に頭の中で最終形をイメージする訓練をされており、イメージして作ることには強かったように思います。
 
わかる人にしかわからないハードディスクが「1MG=1万円」の懐かしい時代のこと。

榎木大明神『えのきさん』

ワードネットの前、熊野街道が通る道は安堂寺通といいます。
長堀通の一本北側、上町筋から谷町筋を越えて、松屋町筋まで東西に走る長い坂道です。高低差がかなりあります。ちなみに「通」がつく道は東西。「筋」がつく道は南北です。
   
安堂寺通もかなりの坂道ですが、長堀通へ出る南の道は急勾配。もともと長堀通は運河だったので、土手から運河に降りた道です。当社から西へ下っていくと、松屋町筋まで3本の南北横道があります。南つまり長堀通へは、一本は坂道。二本目は船着き場の面影を残す階段。三本目は長堀通の向こう側、つまり対岸に渡る橋。運河だった頃の面影が濃く残っています。
 
この二本目の階段の手前に、このあたりで『えのきさん』と呼ばれている『榎木大明神』があります。御神木は樹齢700年弱(実は楠木ではなく槐(えんじゅ)だそうです)。楠木正成が植えたとの逸話もあります。小さなお社は御神木に住んでおられる巳さん(白蛇)がご神体です。
 
この階段を通る南北の道は『お祓い筋』と言われ、平安末期に、後白河法皇・後鳥羽上皇が熊野詣をする際に清めのお祓いをした由緒ある場所。そして、この御神木は紀州熊野詣が盛んだった往時、お伊勢参りで生駒山の暗峠を目指す人達の目印になったそうです。
また第二次世界大戦の大空襲の際、西からの炎が『えのきさん』の前でピタッと止まり、この一帯は延焼を免れ、古い町屋や神社仏閣がいまなお多く残っています。
 
『えのきさん』は今もこの界隈の守り神です。石段を通る人は皆、自然と足を止めて手を合わせます。もちろん私も。

熊野街道にあるOFFICE

ワードネットは熊野街道沿いのビルの7階にあります。
熊野街道とは、京都から熊野三山への参拝路。
 
平安時代から始まった熊野詣。京都から淀川を船で下り、渡辺の津(現天満橋周辺)から陸路で紀伊半島の熊野を目指しました。
江戸時代になるとその船着場が「八軒家」と呼ばれるようになりました。熊野街道はこの八軒家から上町台地を歩き、阿倍野・堺・和泉から和歌山へと続く街道です。

この界隈は、数々の歴史の舞台となった場所。歴史の上に歴史が重なりいまの大阪があります。起点の八軒家から当社までほんの数キロですが、いまも現役の「太閤(背割)下水」を観ることができます。背割下水についてはまた次の機会に…。

ワードネットは谷町六丁目駅まで徒歩2分ですが、通勤は地下鉄に乗らず、谷町九丁目駅から熊野街道を歩きます。ほんとにちょっぴりの距離ですが、色々な時代の名残を感じさせる風情があります。壮大な歴史に思いを巡らせて歩いていると時間を忘れてしまいます。