制作という仕事

長年お世話になった取引先の方から
「退社しました」とメールを頂いた。
 
コロナ禍で仕事のスタイルが変わり
ここ数年、お会いする機会もなかった。 
一度会おうということになり
夕食をご一緒させて頂いた。
   
あれこれ近況報告のあと
昔の話になった。
 
当時の仕事のスタイルや
ギアやデザインの話。
懐かしい記憶が次々によみがえり
盛り上がってしまった。
    
まだPC98やワープロ専用機の全盛期。
Macがぼちぼち入ってきた頃だが
まだ日本語に馴染んでおらず
Windowsは影も形もなかった。
   
その当時の制作物の納品は
代理店様は印刷物が多く
印刷会社様への納品は印画紙か
フィルムの納品が多かった。
   
駆け出しの頃から仕事の環境には
勤め先の内外を問わず
職人さんがたくさん居られた。
 
「カラス口」で0.1pointの線を引く。
カッター1本で神業のような
「切り貼り」で版下作成する。
色合わせや紙のチョイス。
斬新で目を見張る企画。
ど真ん中に来るコピー
丁寧に言葉を選んだ文章
毎日が新鮮で毎日が勉強だった。
ワクワクしながら出勤した。
   
印刷物の色指定は
このDiaryで紹介したことがある
カラーチップが活躍した。
 
版下を印刷会社の職人さんに見せて
色の相談をした。
「ここはちょっと沈んだ赤」
「もっと冴えた緑がいいな」
自分の感覚で好き勝手言う
私達のイメージを見事に再現して
色校正紙を持ってきてくださった。
 
今は画面上で簡単にできる作業を
時間をかけて、何人もの手を通して、
共同作業で作りあげていった。
 
今の何倍も時間はかかったけれど
仕事ひとつひとつに手作り感があった。
色々な協力会社様や職人さんと一緒に
ひとつのものを作る楽しさがあった。
  
今の便利な時代にはない
時には熱く、時には温かな
仕事という場にある
制作作業というコミュニケーションが
たまらなく恋しい時がある。

※カラス口:製図用の特殊なペン

一枚のCD

夏になると車を走らせながら
聴きたくなるCDがある。
山下達郎の「FOR YOU」
発売当時はLPレコードで聴き倒し
CDを買ってからも愛聴の1枚。
 
むかしむかし。
姉の影響で聴き始めた深夜ラジオで
シュガーベイブ時代の達郎と出会い
ずっと聴いている。
同世代には私のような方も多いと思う。
 
新しいアルバムが出ると購入する。
ヘビーローテーションにしている
大好きな曲は他に何曲もある。
でも車で聴くこの1枚はまた別。
  
LPで聴いていた遠い遠い昔。
カセットテープに録音して
ラジカセでBGMに流しながら
窓を開けてドライブした。
テープが伸びたらまた録音。
 
いまでもこの1枚は
その頃の懐かしい景色や
懐かしい時間を鮮やかに
よみがえらせてくれる。
 
あの頃はよかった…ではなくて
あの頃があったから
今ここに居る。
支え続けてくれた時代。
 
達郎のライヴのセットリストには
必ずこのアルバムの曲がある。
達郎にとっても想いが詰まった
特別な1枚なのかもしれない。
  
一方的な思い込みだけれど
達郎とは一緒に歳を重ねてきた気がする。
 
今年も先行予約で手に入れた
達郎ライヴのレアチケットは
懐かしいあの時代からの
素敵なプレゼント。

大切な時間

珈琲が好きで
自宅はもちろん事務所にも
コーヒーミルと数種類の豆を置いて
仕事の間にガリガリ豆を挽きながら
香りを楽しんできた。
 
「珈琲を飲む」のも好きだが
器越しの珈琲の温かさや
器の肌ざわりを楽しむのが好きで
来客用とスタッフ用のカップ
自分用にはお気に入りを置いていた。
  
当時のスタッフは珈琲が好きだったし
珈琲がお好きな来客があると
ガリガリやりながら会話を楽しみ
いい時間を過ごしていたけれど
数年前のコロナ禍でそれもなくなった。
 
打合せはオンラインになり来客もなく
スタッフもテレワークで時々来る程度。
事務所にはほぼ誰も来なくなり
私自身も仕事は事務所と自宅が半々。
事務所の珈琲はドリップ珈琲。
カップは紙コップになった。
 
いつもPCの傍らにあった器は
自宅に持ち帰り、
今も自宅で仕事をする日は
この器で珈琲を味わい楽しんでいる。
 
丁寧に豆を挽き。
豆の様子を見ながら蒸らし
ゆっくり湯で円を描く
 
まとまらない考え
解決できない問題
見つからない糸口

PCの前に座り
器をそっと手で包んで
その温度と肌触りを楽しむと
珈琲の香りの中
俯瞰で見ている自分になれる。

珈琲との大切な時間。

熊野街道の大木

通勤路に巨大な木がある。
正確には通勤路の路地にある。

よく言う大木とは存在感が違う。
熊野街道を機嫌よく歩いていると
大きく腕を広げた太い枝が見える。
そこには公園も植え込みもなく
細い路地の両側に町屋があるだけ。
木は家々に覆い被さって枝を伸ばす。
 
路地は私有地だから、
手前の公道を行ったり来たりしながら
背伸びして見ようとしても幹が見えない。
どこから生えてる?
意を決してそっと路地に入らせて頂いた。
 
路地の南側から見ると
枝は町屋の庭から伸びている。
北側にまわって見ると
表側と同様に、家を押しのけて
通りにせり出して庭から伸びている。

その太い枝を伸ばしているのは
直径が、町屋の奥行きほどの幹を持つ木。
「庭は窮屈すぎる」と言わんばかりに、
町屋に覆いかぶさっている。
 
大阪市内でこれ以上大きな木は
見たことがない。
いつ頃から立っているのだろう。
もちろん家が後から建ったのだろうけれど
家を押しのけようとしている。
 
丹波篠山の安田の大杉ほど
高さはないけれど、
幹回りは同じくらいあるように思う。
そして樹勢旺盛なことと存在感は
安田の大杉に負けていない。
   
木の西側には大きなお寺の敷地
真横にはお寺の番神堂もあり
この木はご神木だったのかもしれない。
  
大きな木を見るといつも思う。
過ごしてきた時間を
見てきた景色を
語って聴かせてくれませんか?

松屋町

事務所の前の道を下っていくと
急な坂を降りた先に信号がある。
 
北から南への一方通行5車線の
ここが松屋町筋。
外側2車線は右左折と
買物客やお店の駐車スペースになり
ほぼ中央3車線に車が走る。

松屋町は「まつやまち」
でも、この卸屋街の界隈は
「まっちゃまち」と呼ぶのが正しい。

学生時代。
文化祭や体育祭、修学旅行と
イベントの前には買い出しに来た。
賞品はもちろん、紅白の幕や
団扇に半被、カラフルなモールから
くす玉に至るまで何でもある。
  
その時の楽しさを忘れられずに
大人になってからも花火を買いに来たり
とにかくウロウロしていた。 
お人形やおもちゃで有名だが、
最近まで本当に色々な店があった。
心斎橋筋よりも歩くと面白い通りだった。

駄菓子などお菓子の卸をはじめ
輸入ナッツやドライフルーツ専門卸。
ベビーカーや自転車の乗り物卸。
結納用品。梱包材。
包装紙や袋などの紙製品卸。
スキーやゴルフ、テニスなど
専門のスポーツ用品卸もあった。
  
毎年、年明けのこの通りは
桃の節句にと、雛人形を見ながら歩く
赤ちゃんを連れたご夫婦や
おばあちゃんおじいちゃんの姿が多い。

3月を過ぎたら
今度は5月の端午の節句。
鯉幟、鎧兜や武者人形を選ぶ家族で賑わう。
  
梅雨前からは夏に向けて
ビニールプールや浮き輪
大きなビニールの鮫や鯨。
水中眼鏡やシュノーケルに足ひれ。
そして花火が所せましと店に並ぶ。
 
夏が終わればクリスマス一色。
ツリーやイルミネーション。
大きなサンタやトナカイのぬいぐるみ。
その傍らに正月飾りや凧
来年の干支の人形や置物などもあり、
12月25日を過ぎたらもうお正月一色。
 
松屋町は一年を通して
いつも季節を先取りした
にぎやかな通りだった。
卸屋さんの間に食堂や寿司屋、
うどんに蕎麦屋さんもあった。
地元の人が通うのだから当然美味しい。
  
弊社の事務所が長堀にあった頃から
少しずつお店は引っ越しや廃業で減り、
マンションや事務所ビルが建った。
  
いまも残っているお店は
変わらず季節先取りで頑張っている。
往時の「まっちゃまち」の面影が
ほんの少し残っている。

ここにも残したい風景がある。 

源平咲きの桃

源平咲きの桃

自宅近くのそこそこ大きな公園。
遊歩道のある川の両側に公園が広がり
遊具や芝生のある癒しのスペースに
野球場やテニスコートも。
 
随分と昔からそこにあったであろう
枝を広げた大木がたくさんあり
子供の頃によく登って𠮟られた。
    
公園にはこれでもか!と言うほど
たくさんの桜の木がある。
春になると息苦しくなるくらいに
桜の花が公園中で咲き競う。
今年の桜も本当に見事だった。
 
子供の頃から桜の季節になると
公園を通り抜けて
一目散に会いに行く木がある。
桜ではなく公園の外れにある
大きな一本の桃の木。
   
1本の木にピンクと白の花が咲く
子供には魔法がかけられたような
不思議な桃の木だった。
 
「今年は白だけかも…」
 いやピンクだけかも…」
魔法が解けていないかドキドキしながら
急ぎ足で会いに行く。
  
中学生の頃この咲き方は
「源平咲き」と呼ばれると知った。
 
平安時代の源平合戦
源氏が白旗、平氏が赤旗だったことから
そう呼ばれるらしい。
桃をはじめ、梅・椿・躑躅にも。
   
どうしてそうなるのか。
生物学的な理由があるのだけれど
ぜんぜんロマンチックじゃないから
忘れてしまうことにした。
   
今年も淡いピンクと白の花が
1本の木で仲良く咲いている。
つかみどころがなく
美しすぎて切なくなる。
 
源氏と平氏の旗色が仲良く咲く。
とても穏やかで平和な春。
今年も咲いてくれてありがとう。
魔法がかけられた桃の木。

今里のロータリー

「今里のロータリー」
両親はこの交差点を
そう呼んでいた。
 
大阪市内の「今里交差点」を
そう呼ぶ人は今も多くて
私も両親から刷り込まれていて
ついそう言ってしまう。
  
五叉路になっているこの交差点。
昭和10年頃から昭和31年まで
交差点には信号がなく
車は円を描き流れていたらしい。
 
かつては大阪市電や
大阪市営トロリーバスも乗り入れていて
交通の難所だったらしい。  
ロータリーの入出にそこそこ慣れていないと
行きたい方向へスムーズに出るのは
かなりハードルが高かったと思う。

確かに、信号のある今でも
ここを始めて通る車や、
慣れない車はあたふたして
慌てて車線変更禁止の黄線を跨ぎ
車線を変えて行きたい方へ進む。
 
このロータリー。
実はもっともっと昔は
玉造から各方面に向かう
諸街道の中継点だった。
暗越奈良街道、北八尾街道、十三街道
各街道の分岐点でもあった。
  
この交差点はいつも渋滞する。
でも渋滞につかまった時は
各時代、往時の様子を想像してみる。
なんとなく周りの景色が
いつもと違って見えてくる。
 
「今里ロータリー」
はじめて通る方は
早めに車線変更をおススメします。

自宅の植物たち

事務所にはたくさん植物がある。
個人的に植物は「ある」ではなく「居る」
植物を「子」と言ったり
違和感を感じる方もおられると思うけれど。
    
このDiaryに以前書いたことがある。
事務所にはご縁があって
長く一緒に居いてくれた子がいる。
    
自宅にも植物がたくさん。
「緑がほしいから」と
買ったものはほとんどなく
ご縁があって来てくれた子たち。
 
頂いた子もたくさん。
大好きな場所で買って
想い出と一緒に連れて帰った子も。
  
お隣で頂いた紅葉。
一度葉も枝も枯れたけれど
根気よく世話していたら
昨年の春、かわいい新芽を見せてくれた。
   
駐車場のおじさんに頂いたサボテン。
お母さんサボテンは枯れたけど
残してくれた小さな赤ちゃんサボテンが
すくすくと元気に育っている。
  
数年前に奄美からきたガジュマル。
昨年小豆島から連れてきたオリーブ。
この寒い冬も、寒い玄関で
元気に過ごしてくれている。
 
8年前に高野山からきた高野槙。
苦手な暑さで最初の夏は弱ったけれど
大阪の夏の暑さにも負けずに
元気で背もかなり高くなった。
 
奈良藤原京跡のどんぐりたち。
1年以上、土の中で眠ったあと、
昨年、1鉢残らず芽を出して
みんな元気に冬を過ごしている。
 
亡父が大切にしていた鉢植え。
父が亡くなって元気をなくしたけれど
今は好き勝手に葉を伸ばしている。
  
友人から誕生日にもらった蘭。
花は咲かないけれど
緑のきれいな葉を見せてくれる。
 
植物は自分で動けない。
「ここムリ!」と文句も言えない。
置かれた環境に順応して生きようと
一生懸命頑張ってくれている。
 
ご縁があってここに来た植物。
適した環境には変えてあげられない。
 
ただ毎日声をかけながら
土に触れて水が欲しいか聞きながら
その子に適した方法で水をあげて
一喜一憂しながら見守るだけ。
でもみんな応えてくれている。

自然災害が頻繁に起こっている。
木や土や水、山や海や空や川、
人間はもっと自然に歩み寄って
声を聞かなくてはいけない。
 
人間が力づくで何とかできるほど
自然は弱く小さなものではない気がする。

道標

上町台地は多くの歴史が重なった場所。
毎日歩く通勤路にも
色々な時代の歴史が何層にも重なり
往時を偲ぶに充分な歴史の名残が
有名無名を問わずたくさんある。
 
上町筋と谷町筋の間
熊野街道の少し東に道標がある。
東平北公園と東平南公園のあたり
交差点の角に立っている。
地図の表記は『熊野街道道標』
  
彫られた文字は風雨に削られ
もとより文字も難しくて
正しくは読めない。
でもそこは読める文字と位置関係
そして想像力を駆使して読んでしまう。
 
旅人はここで西を背に立つ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
『右(南)は天王寺』
『左(北)は京橋から天満』
 ※もしくは京都へ(八軒家浜から船)
『上(東)は玉つくり』
ーーーーーーーーーーーーーーー
熊野に向かう人、戻る人。
暗越峠を越え大和へ向かう人。
それぞれに方向を示している。 
  
道標上部に彫られているのは
きっと東西南北にあたる
十二支の御本尊の梵字。
 
…とスーパー個人的な解釈なので
さらっと聞き流してください。
 
でも、ふと思った。
道標はそれぞれの方向が
どこへ向かうか示しているけれど
スマホも精密な地図もない時代に
人間はもっと想像力を働かせて
自分が向かう先を決めた。
  
そしてそれは
物理的なリアルな行き先だけでなく
自分がどこへ向かって生きるかをも
情報に振り回されずに
自分で考えて決めるべきと
教えてくれている。
 
片道たった2㎞の通勤路なのに
とんでもなく時間がかかる。
でもね…ちょっと立ち止まって
あれこれ考える時間はとっても贅沢。

雪の下

あちらこちらから梅の便り。
春が近づいてるよ…と
梅の花は知らせてくれる。
  
温暖化や様々な要因で
四季が明確ではなくなっても
自然はちゃんと季節を感じて
私達に知らせてくれている。
 
『雪の下』という色がある。
 
夏の水辺に咲く
『ユキノシタ』ではない。 
 
春が近づいて
一度咲きだした梅の花に雪が積もり
真っ白な雪の下にある梅の花の
その淡い薄紅色が『雪の下』 
  
『雪の下』は平安時代から、
重ねの色目にも使われた。
「表が白で裏が薄紅」の
繊細な色合わせでもある。
   
雪をかぶった梅の花は
凍りついてもじっと耐える。
やがて暖かくなって雪が溶けると
そこから咲き始めて満開に。
 
昔の人は、咲きかけて
雪をかぶった梅の花を見て
慎ましやかでありながら
逞しくも厳かなその姿に
尊敬の念を抱き、
長い冬を耐え、春を待つ
自らの励みにしたのかもしれない。
    
また人生の苦難の中にある時
雪をかぶった梅の花に自分を重ね
雪が溶け、春に花開く時を信じ
耐え忍んだのかもしれない。  
  
四季のある国、日本には
その季節の移ろいの中で生まれた
日本人の感覚でしかわからない
繊細な和の色がたくさんある。
『雪の下』もそのひとつ。