騎兵第四聯隊

真田山。
ご存知の方も多いかと思います。
大坂城の南側に築かれた山城
そう真田丸のあった場所。
  
真田山には多くの重なった歴史があり
三光神社をはじめ鎌八幡など
神社仏閣もたくさんあり
少し歩くと石碑や顕彰碑があちこちに。
 
真田丸跡(真田丸顕彰碑)から
少し南に騎兵第四聯隊忠魂碑があります。
明治時代、ここ真田山には
大坂第四師団所属騎兵第四聯隊が。
  
騎兵第四聯隊は明治22年に創立。
日清戦争、日露戦争に出動。
その後、隊は昭和7年に堺に移転し
騎兵第四聯隊跡地は大阪市が
昭和14年に真田山公園として整備。
いま真田山のあちこちにある
小さな公園はその名残です。
   
いまは学校も多く穏やかな真田山。
ここで騎馬隊が訓練していたとは
想像もできないけれど
戦国時代には大坂城を守る為
ここは戦いの舞台になり
明治以降の戦争では戦いに向かう為
騎兵第四聯隊がありました。
  
現在の大坂城公園あたりには
陸軍本部をはじめ砲兵工廠など
数々の陸軍施設があり
その南に騎兵第四聯隊がありました。
そんなことを考えていると
どこか真田丸と重なってしまいます。
   
そして真田丸顕彰碑の少し東に
数多くの英霊が眠っておられる
旧真田山陸軍墓地があります。
こちらはまた別の機会に。

いろは湯

事務所を出て、谷町筋を渡り
熊野街道から少し入ったところに
大好きな銭湯「いろは湯」が
昨年末まであった。
 
10年ほど前は
徹夜になる…と思った日は
気分転換にこの銭湯に行った。
その帰りに谷町界隈で食事して
また仕事をしたものだ。
 
夏の暑い日に自転車で
あちこち走り回った夕方に
ひと風呂浴びたこともあった。
 
暖簾をくぐると玄関はタイル張り
下駄箱には木の蓋があり
ガラス戸を開けると番台が。
男湯と女湯の真ん中に
どちらの脱衣場に向くこともなく
おばさんかおじさんが座っていた。

脱衣場にはデッカい扇風機。
ロッカーではなく、扉のある木の棚。
ゴムのついた鍵が付いていた。
浴場の正面の壁には壮大な富士山。
湯船はタイルで装飾されていた。
洗面器は黄色のケロリン。

湯船のお湯は暑くてなかなか入れず
ぼちぼち慣らしてから入った。
洗い場では曇った鏡を見ながら
水が出る蛇口と湯の出る蛇口を
両方同時に押して湯温を調整した。
 
風呂上がりには小さな冷蔵庫から
フルーツ牛乳やコーヒー牛乳を出して
番台に持って行きお金を払う。
「いろは湯」は正しい日本の銭湯だった。
   
コロナ禍でテレワークが増え
仕事場から銭湯へ行くこともなく
銭湯の前を通ることもなかった。
 
やっと元の生活が戻ってきた1月
ひさしぶりに前を通ると
「2022年12月末で閉店しました」
と小さな張り紙があった。
 
コロナ禍がきっかけだとは思うけれど
このあたりにたくさんあった
お風呂のない長屋や古い町家も
どんどん減っていったし
銭湯の需要も減ったのだろう。
仕事中に銭湯に行く妙なヤツも
居なくなっただろうし。

家のお風呂もスーパー銭湯も快適。
でも地域の人に愛されてきた
「日本の銭湯」には違う魅力があった。
 
もう一度入りたかったな。
半年早く前を通ればよかったな。

あれこれ考えていると
開店前いつもそうしてあったように
シャッターの向こう側に
暖簾が裏向きでかけてある気がした。