何これ?…な見にくい写真。
水が流れているのがわかりますか?
これは『背割下水』
通称『太閤下水』です。
豊臣秀吉が大坂城築城の時に着手した
今も現役の石積みの下水溝です。
大坂は淀川と大和川のデルタ地域で
低湿な土地だったので
道路整備と町屋から出る下水を
排水するための下水が整備されました。
大坂城の城下町は
大坂城への東西道を軸として
碁盤の目に区切られていました。
その道路に面した建物の
背中合わせ(裏側)に下水溝が掘られ
『背割下水』『太閤下水』と呼ばれました。
当時の大坂はこの太閤下水に挟まれた
約40間(72m)四方の区画を
町割りの基本としていました。
太閤下水は今も現役で水が流れています。
現在7kmが大阪市文化財に指定され
事務所の近く、南大江小学校の西側に
地上に設置したのぞき窓から
現役の太閤下水を見ることができます。
この写真はそののぞき窓から撮ったもの。
『太閤下水』は申込すれば
地下に入り見学することもできます。
江戸時代以前に作られ、
江戸、明治、昭和と修復しながら
繋がってきた大坂の歴史。
いまもなお、太閤下水には
途切れることなく水が流れ続けています。