東横堀川

ワードネットのある第17松屋ビルを出て
左(東)を見ると生駒山が見えます。
ここは熊野街道と暗越奈良街道
2つの街道が重なる場所。
 
少し東へ上り、南へ行けば熊野街道
そのまま東へ行けば暗越奈良街道
いろいろな人が、いろいろな想いで
奈良へ、熊野へ向かった道です。
  
ビルを出て西へ坂を下り
松屋町筋を過ぎると東横堀川があります。
東横堀川にかかるのは安堂寺橋。
2つの街道へと続くこの道は
心斎橋筋・御堂筋を越え西横堀まで
ここから安堂寺橋通と名を変えます。
  
東横堀川は天正13年(1585)
豊臣秀吉の命で大阪城の外堀として
土佐堀川から続く堀を開削。
西は船場、南は島之内の商人の町。
東は上町台地の寺町や武家の町。
 
東横堀川は島之内あたりで直角に曲がり
道頓堀川となり木津川に流れ込み
大阪湾へと流れていきます。
 
城を護る堀として作られた東横堀川は
人や物を運ぶ水運の役目をも担いました。
また江戸時代には西横堀川との間に
西鶴・近松の作品でも描かれた遊郭があり
東の門はこの安堂寺橋だったとも。
 
東横堀川は往時の面影を残しつつも
いまでは上を阪神高速道路が走り
陽の届かない残念な景観。   
それでも吹く風が水面を揺らすと
一瞬、往時の様子が浮んできます。