身に覚えのない注文

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アマゾンからメールが届いた。
「お届けが完了しました」
え?なにも注文してない。
もちろん何も届いていない。
  
アカウントの注文履歴を見ると
覚えのない注文があった。
覚えのない商品が3点。
知らない人のところに配達完了。
   
最近アマゾンのフリをした
詐称メールが多く、
本気でメールをチェックしておらず
知らない誰かがした注文メールを
しっかり見落としていた。
 
とりあえずパスワードを変更し 
サポートダイヤルに電話をした。
  
アマゾンは24時間電話対応してくれる。
電話の向こうは間違いなく海外だけど
すぐに対応してくれて一安心。
24時間対応は本当に有難い。
   
カード会社や銀行の対応は
大抵が朝10時~18時なので
アプリでカードを一時停止にして
翌朝一番に電話をした。
こちらもすぐに対応してくれて
誰かの買い物代金を払わずに済んだ。
  
毎日詐称メールや迷惑メールが多くて
削除するのが朝のひと仕事になってる。
いちいち発信元やIPアドレスを
確認していられないし、
迷惑メールフィルタに
登録してもいたちごっこ。
 
あの手この手で不要なメールが届く。
口座のない銀行。持っていないカード。
アカウントのないネット通販サイトから
届くメールは開かず消してしまえばいい。
 
でも口座のある銀行やカード
アカウントのあるネット通販サイトは
知らん顔が出来ない。
メールが来たら開かずに
各々のアプリでログインして確認が安全。
 
「アマゾンっぽい」メールは
ここ最近、ほぼ詐称メールだから
アプリのメッセージ記録で確認しよう。

それにしても…
3点のひとつは、子供のおもちゃだった
不正利用されたことは腹がたつ。
でも怒りよりも、何だか悲しくなった。
  
みなさま。お気をつけください。

朝のルーティン

日中は暖かくても、朝夕は冷えて
11月らしくなってきた。
 
挨拶にもれなくついてくる言葉も
「暑いですね」から
「寒いですね」へと
まもなくバトンが渡る。

「寒いですね」という言葉
まだあまり耳にしないけれど
週末の雨が通り過ぎたら
季節は一気に進んで
一日に何度も聞く言葉になる。
  
暑く長かった夏の間
どこかで暑さを凌いでいた
お馴染みのご近所のネコ。
最近また見かけるようになった。
  
夏にはあれほど避けていた
太陽を浴びようと
最近は道路の真ん中や家の前で
遠慮なくのびのびと
長くなって寝転んでいる。
 
「暑い間どこにおったん?」  
と真剣にネコに話しかけてみる。
 
「うるせぇ」  
彼は微動だにせず
ちらっと視線だけで返事をする。
   
さて、これからの季節は
出かける前に車をコンコンと
ノックしながらひとまわりする。
 
寒い季節の朝のルーティン
   
車の下でまだ寝ているネコ。
無理やり起きてもらう。
車の下ならまだいいけれど
エンジンルームに入ったりすると
大変なことになる。 
 
「あなたのためなのよ」と
愛情を込めてネコを起こす。
車の下からあくびをしながら
迷惑そうに出てくるネコ。
  
「ゆっくり寝かせろよ…ったく」
抗議の視線に見送られて
仕事に出かけるのも
寒い季節。朝のルーティン。

あべのハルカス

事務所から谷町筋に出ると
南の空にハルカスが見える。

10年前にビルの名前を聞いた時、
「ハレ」と大阪弁の「やらかす」
の造語か…なるほど。
…と私は勝手に納得して
ずっとそう思ってた。
 
でも違った。ぜんぜん違った。

 こころ、晴るかす。
 みらい、晴るかす。
 やさしい光に包まれて
 心地よい明日が見えてくる。
 大阪の新しいランドマーク
 あべのハルカス。
 
名前の由来はこう説明されている。
 
「ハルカス」は
伊勢物語の一節に書かれた言葉
「はるかさむ」からの引用。
「はるかす」は
「晴らす、晴れ晴れとさせる」
という意味で使われていた言葉。
 
ふーん。そうなんだ。
正しい意味を知っても
10年間の思い込みは消えず
どうもしっくりこない。
    
ともあれ
60階の展望台からの景色は
大阪を一望できる
素晴らしい眺めだと聞く。
  
16階の美術館には行くけれど
私は展望台には行ったことがない。
高いところは嫌いじゃない。
どちらかと言えば高いところは好き。
でもなんとなく気が進まない。
 
300mからの大阪の景色を
見てしまいたくないのかもしれない。 
大阪を一望…というのは
大阪城の天守閣からの眺めでいい。
  
300mのハルカスは
雲が降りてくると
てっぺんが隠れて見えない。
あまのじゃく…だと思うが
下から見るこの景色がとても好き。
  
※「ハレ」
 儀礼や祭、年中行事などの「非日常」
 (もともと折り目・節目を指す概念)
 対して「ケ」は普段の生活「日常」
 日本の伝統的な世界観のひとつ

諭吉

お札が新しくなって3カ月。
まだ新札に対応してない自販機はあるけれど
よくお目にかかるようになった。

畳貯金や箪笥貯金の旧札は
新札にしないと使えなくなる…とか
色々うわさも飛んで
両替代行詐欺も結構あるらしい。

畳の下や箪笥の中の札束を
両替しなきゃ!と慌ててみたい。
 
さて、2024年新メンバーは
渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎
 
偽造防止技術がすごいらしく
高精細すき入れに、世界初の3Dホログラム
うん。きっとすごいんだと思う。

あくまでも個人的にだけれど、
樋口一葉と野口英世はともかく
福沢諭吉と渋沢栄一の選手交代が
どうも残念。

偉いとか偉くないとか
個人の功績がどうのとかではなく
私達は愛情を込めて一万円札を
「諭吉」と呼んできた。

お財布に諭吉が何人いるかで
懐の暖かさが違った。
諭吉1人が英世10人になったら
あっという間にお財布が寒くなる。

友人との会話でも「諭吉何人」
…と生々しい金額は言わない。
頭の中で諭吉が整列する。

が。「栄一」1人はなんか違う。
どうも馴染まない。言えない。

もうひとつ、
新札を目にした時の違和感は
日本のお札なのに中央に漢数字表記がない…
技術の結晶。高級な印刷と用紙。
でもなんか軽い…重みがない。
 
とぶつぶつ言いながらも
お財布に「栄一」が団体で来てくれたら
それはとっても嬉しい。
もちろん大歓迎!

まわり道

通勤路や事務所界隈一帯には
ほんの少し裏にはいると
上町台地に重なった歴史を
感じる場所がたくさんある。
  
通勤途中で路地や裏道があると
迷いなく吸い込まれてみる。
全く方向の違う路地に入ったら
その先で道が曲がっていて
道なりに表通りに出てみたら
ショートカットだったりもする。
  
その先がどうなっているか
予想はできるのだけれど
タイムトンネルのように
違う時代に繋がっていたり
全く違う場所へ出たら素敵だなと
いつも期待しながら歩く。
    
通勤路にたくさんあった
古い町屋もずいぶん取り壊され
昔話を聴かせてくれた
顔見知りになった人生の先輩も
会えなくなった方が増えた。
  
でもこの界隈には
いまも往時を思わせる風景が
色濃く残っている。
  
あれこれ想像しながら
まっすぐ歩けば20分の通勤路を
倍以上の時間をかけて歩く。
 
直線距離に近い道を歩くと
確かに早く到着する。
でもグルグル歩いているから
出会える場所やコトもある。

無駄に見えても
たくさん素敵なプレゼントを受け取り
朝からご機嫌で事務所に着いたり
気分よく家に帰れたりする。
 
人生も同じかもしれない。
まわり道や無駄に見えることが
本当はとっても大切なことで
意味があるのではないかと。

苔とサボテン

以前このDiaryに登場した
我が家に長くいるサボテン。 
 
数年前から赤ちゃんサボテンが
たくさん誕生するようになった。
お母さんサボテンは近いうちに
枯れてしまうのだろうと思った。
でもお母さんも元気で
赤ちゃんも増えた。
   
5月頃の大雨のあと
赤ちゃんサボテンがコロコロ床に落ち
手頃な鉢がなかったので
木が枯れて、苔も乾いた
ミニ盆栽の鉢にのっけておいた。
  
他の鉢植えと一緒に水をあげていたら
枯れたと思っていた苔が緑になり
眠りから覚めたように元気になった。
  
この苔とサボテンのペア。
無責任にポンと置いたけれど
よくよく考えると
本人たちにすれば迷惑な話。
 
湿気が好きな苔の上に
乾燥が好きなサボテン。 
  
サボテン用の鉢を用意するつもりが
どちらも元気だし
仲良くやっているようなので
このまま見守りたくなった。
 
いざこのままとなると
水は?光は?置く場所は?
どちらの好みに合わせる?
あれこれ悩んだ結果  
台所の窓際に置いてみた。
 
直射日光は当たらないけれど
光が入り明るく、風遠しもいい。
カラカラに乾かないし、
湿ったままにもならない。
つまり中途半端な環境に置いてみた。
  
水はサボテンにかからないように
小さな霧吹きで苔にしっかりと
かかるようにした。
  
あれから数か月。
苔の緑も濃くなり、
サボテンもスクスク育っている。
相反する環境を好むはずなのに
ちゃんと共存している。
与えられた場所と環境で
せいいっぱい生きてくれている。
  
苔とサボテンは
大切なメッセージをくれる。
 
環境を都合よく変えようとせず
自分たちも順応しながら
仲良くすればいいだけ…と。

遊園地

今年の夏もUSJやTDLは
アトラクション2時間待ちなんて普通
…な感じでにぎわった。
並んでいても、すぐに乗れなくても
そこは夢の世界。
  
遊園地という呼び方をするには
ちょっと違うなぁ…と思う。
 
大阪にもたくさん遊園地があった。
通天閣や天王寺公園もその名残り。
小学校の遠足や、友達同士、
家族で週末にサクッと行ける
遊園地があちこちにあった。
 
よく車で大阪から奈良へ向かう。
大和川沿いの道を走っていると
柏原あたりから川の向こうに
こんもりとした低い山が見えてくる。
「玉手山」だ。
   
今は斜面に建物が多く立ち
遠目で見ると面影もないけれど
こんもりした玉手山一帯には
明治41年~平成10年まで
西日本最古の遊園地があった。
 
春には山全体に桜の花が咲き
石川と大和川の流れを望み
山ひとつが遊園地という
自然豊かな素敵な遊園地だった。
 
近鉄沿線に住む小学生なら
一度は遠足で行った
身近な遊園地だった。
    
大型アミューズメントパークの台頭で
頑張っていた地方の遊園地は
惜しまれながら姿を消していった。
  
近鉄沿線では玉手山遊園地。
菖蒲池遊園地、奈良ドリームランド。
阪急沿線の宝塚ファミリーランド。
南海沿線の岬公園。
万博公園のEXPOLAND。
みんな個性的な遊園地だった。
  
玉手山は大和川と石川に挟まれている。
昭和3年に石川の対岸から
遊園地への通路として架けられた
吊り橋『玉手橋』は100年近く
玉手山と石川の対岸を繋ぎ
変わって行く玉手山を眺めて来た。

吊り橋が軋む音が悲しげなのは
気のせいではない気がする。
 

お盆のこと

そろそろお盆やすみ。
日本の夏はお盆中心。
でもお盆について考える機会は
あまりないかも。
  
「お盆」の語源は仏教の
「盂蘭盆会」「盂蘭盆」 
この言葉はサンスクリット語の
「ウランバーナ」から。
このサンスクリット語の意味は
「逆さに吊り下げられた苦しみ」
…とちょっと怖い。

ウランバーナの由来は
お釈迦様のお弟子「目連尊者」が
亡き母を救う話から。
  
目連尊者の母は、
我が子を溺愛するあまり
周囲の不幸に無関心で
餓鬼道に落ち、逆さ吊りに…
食べるもの飲むもの全てが火となり
飢えと渇きに苦しんでいました。
 
神通力を持つ息子の目連尊者が
苦しむ母親の姿を目にして
なんとか救いたいと
お釈迦様に教えを乞います。
 
 夏の修行を終えた7月15日
 僧侶たちを招き、
 供物を捧げて供養するとよい
 
…とのお釈迦様の教えに従い
供養すると、その功徳により
母は極楽往生を遂げたそうです。
 
ですが、日本各地には
古来より祖霊信仰があり、
仏教が伝来するずっと前から
年に2回、ご先祖様をお迎えする行事が。
つまり、お盆とお正月です。

この夏時期の祖霊を祀る習慣に
仏教伝来後、7世紀頃から
朝廷が営む供養として
仏教形式の法要が取り入れられ、
鎌倉時代に入ってから民間に普及。
室町時代には送り火の風習が。
 
ちなみに7月15日に終わる
夏の修行は「安居」と呼ばれ、
僧侶たちが雨期に一ヶ所に籠る修行。
修行が終わる旧暦7月15日が「解夏」
 
由来や意味はともあれ
ご先祖様に感謝し
あの世とこの世を繋いで
ご先祖様はもちろん
日頃会えない親戚や友人とも
仲睦まじく過ごす。
お盆はとっても素敵な風習。

Jobsの言葉

人間を長くやってると色々ある。
良いことも良くないこともある。
心が折れかけた時に
頭をよぎる言葉がある。
 
『一番大切なのは、心の声や
直感に従う勇気を持つこと』  
 
最近はMacを使わない日も多く
Windowsで仕事をすることが多い。
でもこの業界にはいってから
何十年とMacintoshと、
Appleと一緒に歩いてきた。
  
仕事仲間ともMacやAppleについては
たまに当時の話をするくらいで
もちろんApple創業者
Jobsの話をすることはない。
   
2005年にSteve Jobsは、
スタンフォード大学の
卒業スピーチに招かれた。
 
この一年前に彼はがんと診断され
きちんと人生を終われるように
身辺整理をするよう
医師から告げられていた。
  
彼が製品発表など以外の場で
スピーチすることはあまりなく
本当に特別なスピーチだった。
 
そしてこれが最期のスピーチとなった。   
動画でご覧になられた方も
本を読まれた方も多いはず。
  
自宅の本棚に数冊あるJobsの本。
色々なことで行き詰まり
先が見えなくなった時は
このスピーチを読み返してみる。
  
Jobsの言葉は
自分がいままで歩いてきた道を
思い出させてくれる。
そしてまだ続く道が少し見えてくる。
 
最後のスピーチは
かつて胸がときめいた
あの言葉で終わる。
 
“Stay hungry,
stay foolish.”  

                            

梅雨の頃

子供の頃の梅雨は
しとしとぴっちゃん…と
優しい雨が降っていた気がする。
 
今年は梅雨入りしてから何度も
真夏のような快晴とカンカン照り
かと思えば、台風のような雨。
 
数年前まで聞いたことのなかった
『線状降水帯』が発生し
身の危険を感じる勢いの雨。
そういえば台風も
夏の終わりに限らず
来れば必ず爪痕を残していく。
 
梅雨や台風は、つい最近まで
季節の風物詩だった気もする。
梅雨も台風も自然の恵みだから。
  
雷が鳴って梅雨があけて
本格的な夏が来る。
夏の終わりには台風が来て
一気に秋へと加速する。
そんな季節の変化は
いったいどこへ行ったのだろう。
 
地震も頻繁に起こり
東南海地震が近い将来起こるだろう。
 
地震に負けない頑丈な建物や
津波に負けない護岸工事や
その時に慌てないために
食料や生活必需品の備蓄も大切。
 
でも自然をコントロールしようとしたり
力に力で対抗しようとしたり
人間のそんな行動が
引き金のひとつになっていないだろうか。
 
古来から自然に感謝し共存してきた
そんな日本人の生活と精神は
どこにいったのだろう。
  
新しいものも素晴らしい。
生活は便利になり、
物質的に豊かになるかもしれない。
でもずっと培ってきた日本の精神は
崇高でとても素晴らしいものだと思う。
 
人間も自然の一部だということを
忘れていないだろうか。