水都大阪観光

万博で賑わう大阪。
大坂城や通天閣、心斎橋だけではなく
オフィス街でも観光客を見かけます。
 
海外からの方は別として
他府県から万博に来られる方には
「水都大阪」も楽しんで頂きたい。
 
以前このDIARYでも
いくつか運河をご紹介しましたが
大阪にたくさんある運河は
秀吉の時代に整備されたものが中心
 
大坂城築城に伴う城下町の拡大で
水路中心に都市計画が進められました。
特に大川を中心に多くの運河を掘削。
そしてこの運河が米や物資を運ぶ
舟運ネットワークになっていきます。 

大阪は江戸時代に商業都市へと発展し
船場や中之島などが経済の中心に。
「天下の台所」の誕生です。
 
全国の年貢米が舟で運ばれ
蔵屋敷に集まり米相場の形成にも。
中之島周辺や道頓堀川などには
今もその名残が色濃く残っています。
 
さて、水都大阪の観光です。

陸と水上の両方から景観を楽しめるのは
水陸両用バス「大阪ダックツアー」
 
水都大阪の歴史を感じる観光なら
舟での観光がオススメ。
大川や道頓堀川を運行する観光船
「アクアライナー」
「とんぼりリバークルーズ」

舟からレトロ建築群や夜景を眺め
米や物資が運ばれた「天下の台所」
その舟運を追体験できます。

ちょっとお値段はお高めですが
水都大阪ならではの体験が。
大坂城や通天閣、心斎橋にプラス
「水都大阪」観光はいかがでしょう。

白蓮

毎年7月~8月の朝
藤原京跡の蓮の花に会いに行く。

紅色。淡い桃色。
白。絶妙なグラデーション
同じ色はひとつもない気がする。
 
水面が多くの葉で覆われ
見えない水面下にある根は
地下茎とも呼ばれて
泥の中を這うように伸び
太い茎のようになっている。

暑い夏に涼しい顔で
背筋を伸ばして咲く蓮の花。
夜明けに蕾が開きだして
太陽が昇りきると閉じる。

その風情からは
想像できない水面下。
そのギャップも含めて
愛してやまない花。

夜明けに蕾が開く時
「ポン」と音がする。
数年前に一度だけ
藤原京跡で聴いたことがある。

先日はじめて「白蓮」を見た。
葉も蕾も花も
びっくりするほど大きい。
「高貴」という言葉でしか
表現できない風情。

「蓮は濁りに染まらず」

仏教の世界観や象徴性と
深く結びついている意味が
わかる気がする。
  
白蓮が開く瞬間
そこに居たい。
蕾が開く音を聴きたい。
 
蓮の季節が終わる前に
その一瞬のために行く
きっととびきり贅沢な
夏の朝になる。

7月の空

ブルーインパルスが
大阪の空を舞った。

大阪・関西万博開幕時は
一旦飛び立ったが悪天候で中止に。
心待ちにしていた観客はもちろん
ブルーインパルス隊員の方々にも
残念な万博開幕となった。
    
再飛行決定のニュースが
7月になって飛び込んできた。
  
このところ国内外ともに
明るいニュースが耳に入ってこない。
戦争、災害、異常気象。
米をはじめ食品、ライフライン
あらゆるものの値上げ。
芸能人のゴシップに政治家の不祥事。
不安な気持ちやイライラ
ぶつけようのない憤り。
マイナスな想いを抱えて
下を向いてしまうこと多かった。
    
でも7月12・13日の午後
顔をあげて空を見上げた人が
どれほどいただろう。
 
大空に目を向けて
ドキドキしながら機影を探し
見つけた時には歓声をあげ
感動した人がどれほどいただろう。
 
ブルーインパルス隊員の方々は
厳しい訓練を積み重ねて
高度な技術と精神力と体力を身に着け
心のこもった一糸乱れない
素晴らしい展示飛行を魅せてくれた。
 
整備の方はもちろん、吉村知事
防衛庁や多くの関係者の方々…
大阪の空を飛んで欲しい多くの人
膨大な人の思いがひとつになって
2日間の展示飛行が実現した。
  
色々な考えや意見があると思う。
でも政治的なことも
思想も関係ない。
  
その瞬間
どれだけの人が日常を忘れて
顔をあげ空を仰いだか。 
どれだけの人の心がひとつになったか。
 
展示飛行が終わり関空へ向かう時
一機が描いてくれたラインは
モールス信号の「T」と「U」
「Thank You」だった。
 
こちらこそ本当にありがとう。

大空に描かれた白いラインは
一瞬で消えていったけれど
忘れていた感動や笑顔を
ブルーインパルスは残してくれた。 

安井道頓

先日珍しく夕方テレビをつけると
見覚えのある町並みが映っていた。
大阪府八尾市の寺内町。
   
コロナ禍によく歩いた町
自宅から旧大和川を30分ほど遡ると
1540年代の町並が残っている。
大好きな場所。
   
ちなみにテレビで取材していた
「八尾で見るドーナツみたいな石」は
「井戸の跳釣瓶の重石」だと思う。
その話はおいといて。
 
取材の案内人から
そのあたり出身と言われている
安井道頓の名前が出てきた。
   
安井道頓。
ご存知の方もおられると思う。
江戸時代初期に道頓堀の開削に私財を投じ
現在の大阪の礎を築いた人。
 
土木家・町人で、豊臣秀吉に仕え
大坂城の築城にも携わりその功績により
大坂城南の土地を与えられた。
  
大阪の物流に新たな水路が必要と
1612年頃から私財を投じて
東横堀川と木津川を結ぶ水路開削に着手。
自ら困難な工事の指揮を執った。
残念ながら
運河の完成を見届けることなく
大阪夏の陣で戦死。
  
道頓の死後、甥の道卜たちが
工事を引き継いで1615年に完成。
  
この運河は物資輸送の動脈となり
大阪の経済発展に貢献した。
大阪大空襲の時もこの運河で
延焼を免れたという場所もある。
    
「道頓堀川」の名称は
徳川幕府が安井道頓の功績を称えて
完成後に命名した。
  
往時の豪商や事業家は、
先見の明と公共心を持ち、
私財を投じて世の中に貢献した。
中央公会堂はもちろん
人名のついた多くの橋・運河・地名
大阪にはそういう場所が数多くある。
    
安井道頓もその一人。
今では道頓堀川は観光客で賑わい
大阪のシンボルになっているけれど
カーネルおじさんを投げ込んだり
飛び込んだりする場所ではない。
ほろよい気分でもいいから
往時を思って道頓堀川を眺めて欲しい。
   
道頓堀日本橋北詰にその功績を称える
「安井道頓・道卜紀功碑」がある。

政治家が呼吸するように嘘をつき
公共心とは程遠い不祥事が続く。
歴史に学んで頂きたいと思うのは
私だけだろうか。
  
  

残したい風景

大好きな通勤路も
雨が降っている時や
これから暑くなる季節で
太陽が真上にある時は
大人の判断で地下鉄に乗る。
 
乗り換えで結構地下道を歩き
ホームで待つ時間を考えると
時間的にも歩く距離も
地上を歩くのと
そんなに違わない気がする。
でも雨に濡れることも
直射日光で汗だくになることもない。
 
それでもちょっと爽やかな日には
通勤路を歩きたくなる。
 
こんなに何年も歩いているのに
足元に重なっている歴史と
その時代の様子が浮かんできて
いつだって新鮮な時間になる。
 
でもしばらく通っていない道を歩くと
大好きだった町家がなくなり
建築予定の看板があったりする。
 
取り壊したばかりの工事現場は
日本家屋を立てる時と異なり
地面を掘り返し鉄骨を打ち込み
コンクリートで固められて
胸が痛くなる時がある。

上町台地はどこを掘っても
時間を遡った色々な時代からの
メッセージが出てくる。
遺物が見つかったと申告すれば
調査などで工期が遅れるからと
見なかったことにする場合が多いと聞く。

そこにまた建物が立ち
歴史の層がひとつ重なっていく。
以前は次の時代へ残さないと…と
憤りを覚えたけれど
よく考えてみると今までも
そうやって歴史が積み重なってきた。

残念な気持ちに変わりはない。
大切に残したい気持ちも変わらない。
でもいつか遠い未来にここを歩く人が
今の時代を歴史の1ページとして
感じてくれますように…と思う。

今この時代に、ここを歩き
遠い時代へと想いを馳せてみる。
 
暗越奈良街道や熊野街道を
歩いた人がたくさんいる。
街道ができるもっともっと前
上町台地が海に突き出た
半島だった時代にも歩いた人がいる。

今そこを歩いていることが
光栄だと、幸せだと思う

ポチっと

ポチっと

仕事をしている時
なんとなくラジオをつけている。
シーンとしているよりも
雑音がある方が集中できたりする。
雑音の多い電車の中や
カフェで本を読むのも好きだ。

ラジオだけでなく周りの音を
聞いているような
聞いていないような感じ。

でもラジオの本紹介コーナーは
なぜかタイミングよく
一瞬集中が切れた隙間に入り込み
全集中力をもっていかれて
ダンボの耳になる。

好きな作家や好きなジャンルの本だと
手を止めてガッツリ聞いてしまう。

読みたいと思ったらもう止まらない。
すぐにAmazon
新品が許せる価格ならポチッ。
許せない?価格なら
中古本を探してみる。

こうしてポチッとした結果
ポストに届く本が本棚の前で
順番を待って重なっている。
絶対に読むのだけれど溜まる。

月3冊以上買わないルールを
一応作ってはいるけれど
展示会図録や古本の絶版など
買った月はかなり本代がかかる。
 
でも図録は通勤で読めないから
結局は月3冊単行本を買う。
そして月末の引落し金額を見て
寒くなることもある。

これはいけないと思い
家の本棚にどっさりある
好きな作家の本を月に1冊
読みなおすことにした。

でも…よく考えてみると
月3冊でも年間36冊しか読めない。
人生あと何年…と考えると
急いで読まなくてはいけない。

…とあれこれ言い訳をしながら
今月3冊目をポチッとした。

花の散り方

寒く長かった冬も遠くなり
花と緑の季節の到来。
桜をはじめ次々と花が咲いて
そして散っていきます。
 
この「花が散る」
和歌や俳句などでは
花それぞれに表現があります。

桜は 「散る」
梅は 「こぼれる」
朝顔は「しぼむ」
菊は 「舞う」
椿は 「落ちる」
牡丹は「崩れる」

それぞれの花が蕾をつけ
花開き、そして散っていく…
表現通りの様子が浮かびます。
 
5月に入り花開いた芍薬。
色々な種類があり花びらの数も違い
多いものは100枚以上の花びらが。
あの小さく硬い蕾の中でどうやって
これだけの花びらを育んだのか
驚くほどの大きな花が咲きます。

せいいっぱい咲き切った芍薬は
俯いて涙の粒を落とすように
きれいな花びらを潔く散らせます。
その瞬間は儚いものです。

花はそれぞれ蕾をつけて花開き
咲き誇る時も散る時も
美しく風情があります。

花の散り方の「和」の繊細な表現は
四季のある国だからこその
研ぎ澄まされた感性と
繊細な表現を持つ日本語だから。

5月18日は「ことばの日」

外国語を話せることはとても大切
でも日本語は奥が深い。
この素晴らしい言葉を持つ国に生まれて
本当にシアワセ。

ガイドブック

長い付き合いの仕事仲間と会った。
もう35年くらいだろうか。
何か用があるわけではなく
「最近どうよ?」と
年に数回お茶をする。
 
「これ事務所あたりだね」
と先日かわいいA6サイズの
谷町6丁目ガイドブックを頂いた。
 
この界隈には無料のミニマップや
広告入りガイドブックも多く
あちこちで配布されている。
でもこの一冊は一線を画している。
 
取材した情報を
どっさりてんこ盛りにした
よくあるガイドブックではなく
谷町6丁目を知り尽くした
ライターや編集者の
「大好きな店や町を紹介したい」
そんな想いのこもった一冊だ。
 
私にとっても谷町6丁目界隈は
南船場に事務所があった頃から
30年以上愛してやまない町。
  
小さな本のぺージをめくると
ガイドブックを開いた時
普通に感じる感覚ではなく
ただ愛おしく懐かしかった。

このガイドブックの発行は
2019年5月。
大きく世界が変わる前。
それからコロナ禍を経て
コロナ禍中に閉店したお店や
店の親父さんが亡くなったり
建物そのものがもう無い場所も。
 
2019年から数年は
コロナ禍を含め、想定外のことが
個人的にも次々起こり
とんでもない時期だった。
  
ページをめくると
その頃の記憶が戻ってくる。 
文字に、写真に残るその頃は
たった6年前なのに
遠い昔のような気がする。
 
ガイドブックは
最新の情報を得る本のようだが
数年経ってから開くと
また違う感覚で
大好きな町や場所を俯瞰できる。
 
今度馴染みの店に足を運んだ時
すこし懐かしい気分になりそうだ。

もし古いガイドブックが
お手元にあれば
そっとページを開いて欲しい。

新のつくお金の話

「新500円玉」の登場は2023年4月
今でも「新」がついてるけれど
すでに2年。
 
この「新500円玉」がなかなか大変
大阪府内のパーキングでも
けっこう使えないことが多い。
表示金額通りに硬貨を投入しても
「新500円玉」だけ戻ってくる。
昨年夏デビューの「柴三郎1000円札」も
使えなかったりする。
 
昨年まで事務所のすぐ近くに
6時間900円の有難いパーキングがあった。
乗車前に清算するスタイルではなく
出口清算でバーがあがるスタイル。

5時間55分で出ようとすると
「新500円玉は使えません」と
投入口の横に小さく書いてある。

1000円札を入れようとしたら
「新1000円札は使えません」
挿入口の横に小さく書いてある。

結局カード決済で出庫した。

すったもんだの間に5分超過し
200円プラスで1100円のお支払い。
「『新』のお金は全部ダメ」と
入口の看板に書いて欲しい。
 
知り合いは他のパーキングで
同じことになり、コンビニまで行き
5000円札で欲しくない珈琲を買い
パーキングを出ようとすると
定額繰返し料金設定だったらしく
数分超過で2倍の金額のお支払い。
  
そんなことがあって車内には
「旧500円玉」を数枚キープ。
必ず財布と携帯ケースには
「英世の1000円札」を忍ばせている
 
パーキングや自販機で
昨年華々しくデビューした
「栄一10000円札」「梅子5000円札」が
どうかはよくわからない。
まず忍ばせるには額が大きすぎる。
  
そういえば
結婚のお祝いに「渋沢栄一」は
あれこれ諸事情で縁起が悪いとかで
嫌がる方がおられると聞く。
「諭吉10000円札」にアイロンかけて
お祝いに包む方もいるそうだ。
 
なにかにつけて
問題の多いお金の「新」

大阪万博記念硬貨
「ミャクミャク500円玉」も発売され
使わない記念硬貨だとしても
2年前にデビューした500円玉は
もう「新」ではないな…と思う。
  

通勤路の町中華

上本町駅から事務所
事務所から上本町駅
片道1.6キロほどの通勤路は
その日の気分次第で微妙に変わる。
あちこち曲がって横道に入って
裏道を歩いたり
やたらとまわり道をする。

でも陽が傾いて
暗くなってからの帰り道は
上町筋を歩くことが多い。
上町筋は四天王寺から大阪城に続く
谷町筋同様にお寺の多い通り。

この通勤路にある町中華
もう10年どころではない
もっともっと前から気になっている。
車で大阪市内を移動する時も
この道はよく通るから、よく目にする。
 
昼も夜も店が開いてる間は
タクシーが停まって
運転手さんが食事をしている。
もちろん、サラリーマンや家族連れ
観光客から学生まで
普通のお客さんもいる。
 
上町台地に数件ある
「タクシーの運転手さんが行く店」は
絶対に美味しい店だ。

車が止めやすいからでしょ…とか
安いんでしょ…とか
色々意見はあるでしょうけれど
上町台地のこの手のお店は
お蕎麦屋さんも
うどん屋さんも
ラーメン屋さんも
定食屋さんも
あちこち行ってみたけれどハズレがない。
でもここは入ったことがない。

カウンターのすぐ向こう側で
大将が中華鍋を振り回し
ガンガン調理するカウンター席か
4〜6人が座るお座敷席が2つ。
2人とか4人とかで相席できるような
まん中の感じな席がなく
1人で入るにはかなり勇気がいる。

ましてやボリューミーだろうから
1人で食べるとラーメンだけとか
チャーハンだけとか一品になる。
せっかく中華に行くなら、
酢豚と唐揚げと天津飯と…
あれこれ頼んでシェアしたい。

絶対に美味しいぞ。
10年以上眺めるだけの町中華。
誰かを誘って行ってみようかな。