30回目の宵えびす

100回目のプロポーズというドラマがあった。
何年かけて100回プロポーズしたのか
すっかり忘れてしまった。
30回目の宵えびすは年1回
1月9日。感謝を込めてのおまいり。

宵えびすは1995年の法人設立前から
30年続けてきたルーティン。
年に1回、宵えびすの朝一番に行き、
前年頂いた福笹をお返しし
新しい福笹を頂いて
本殿でその年最初のお神楽で福を頂く。

良い時期も、良くない時期も
毎年本殿でお神楽の鈴の音を聴き
想い新たに一年をスタートしてきた。
 
1995年といえば
お気づきの方もおられると思う。
 
日本経済も大変な時期だったし
十日えびすの一週間後の1月17日
阪神・淡路大震災があった。 
  
自宅は本棚や食器棚から物が落ちる程度。
家族も全員無事だった。
バイクで当時の事務所にいくと
本棚の本が全て落ちて
PCのモニターは見事に首が折れ
普段は1人で押して動かせない
部屋の奥にあったコピー機が
ドア近くまで移動していた。
 
スタッフとも取引先とも連絡がとれない。
ニュースでは、阪神高速が倒れ
スタッフが通勤で使う伊丹駅が倒壊
仕事仲間のオフィスや友人の住む
長田は炎に包まれていた。
誰も想像しなかったことが起こった。
 
数週間経っても連絡がとれない友人、
消息のわからない仕事仲間がいた。
法人設立を先延ばしにするか迷った。
 
1995年1月9日の宵えびす。
震災の1週間前に
「どんな時も前を向いて頑張ります」
と手を合わせ、えべっさんに約束した。
 
予定より少し遅れた10月に
有限会社ワードネットがスタートした。
名前に「有限会社」がついただけだが
20年間は頑張ると腹をくくった。

でも気が付くと今年10月で30年。
色々な方に助けていただき
今日は30回目の宵えびすだった。

今朝もお神楽の鈴の音を聴きながら
例年通り参拝できたことに感謝し
「今年も一年頑張ります」と
えべっさんに約束してきた。
 
新しい福笹を事務所に飾って
2025年がスタートした。
 
有限会社ワードネットは
2025年10月に30周年を迎えます。
どうぞよろしくお願いいたします。

ビルの西側

今の事務所に引っ越してきた頃
ビルの西側には町家があった。
並んだ事務所ビルとのギャップが
絶妙にいい感じだった。
 
町家の1軒は電気屋さんだった。
「東芝」の古い看板が好きだった。
土間の壁には大きな木の棚。
その棚には電球や電池が並んだ
昔ながらの電気屋さんだった。
  
3軒あった町家はコロナ禍に
2軒が取り壊しになり
半年ほどでコインパーキングになった。
 
残った1軒はしばらく頑張っていたが 
2年前に取り壊された。 
町家一軒分しか間口がないその土地に
ビル建設予定地の看板が立ったが
何故かここもコインパーキングになった。
  
そのうち2つのコインパーキングが
ひとつになり、また更地に戻り
またコインパーキングになり…。
スクラップ&ビルド?な感じで
忙しく変わってまた更地になった。
  
予想はしていたけれど
夏前にマンション建設予定地の
看板が立った。

でも工事開始予定の
12月になっても更地のまま。
ひょっとして…と思っていた。

そう。やっぱり出た!
ここはそういう場所だもの。
しばらく発掘調査が行われる。

だってこのあたりは
太閤秀吉が作った背割下水に
今も水が流れる大坂城の城下町。
その前は石山本願寺の領地だし
遡れば難波宮の端に位置している。
 
歴史が重なり重なり眠る場所。
掘れば色々なものが出てくる。
あれこれ想像してワクワクする。
 
事務所の西側に窓がないのが残念。
でも、もし西側に窓があったら
きっと仕事にならない…。

季節は冬

関西でも標高の高い山には
雪が積もりはじめている。
この週末は強烈な寒波が来るそうだ。
平地でも雪が降るかもしれない。
 
でもつい最近まで半袖を着ていた。
けれどもう普通に
ダウンジャケットを着て通勤している。
町を歩く人はみんな
寒そうに背中を丸めて急ぎ足。
夕食の献立は鍋が主役になる。
いつもの冬の光景だ。
  
今年は夏が長く、秋が短かくて
私だけかもしれないけれど、
衣替えも中途半端になっていた。
年末の大掃除と衣替え、
愛車の冬用タイヤ交換がかぶった。
     
慌ただしかったけれど
秋は、彼岸花もすすきも紅葉も
充分に楽しませてくれた。
 
そして季節のバトンは冬に渡り
いまは落ち葉の絨毯が美しい。  
風が強く吹く日には
カラカラ音を立てて、
落ち葉が道を走っていく
 
その落ち葉はほとんど桜。 
公園の枯れ葉の絨毯もそう。  
 
赤や茶色の桜の落ち葉に
金色の銀杏の落ち葉が混ざると
それはそれは本当に美しい。
神様のセンスに拍手を送りたい。
  
町のあちこちにある桜
春に咲く花はもちろん美しい
でも夏の緑濃い桜も好き
そして秋に紅葉し
冬に向かって葉を散らす桜も好き。
 
桜はどの季節も美しい。
そして日本の季節は
春夏秋冬いつだって美しい。
 

身に覚えのない注文

Screenshot

アマゾンからメールが届いた。
「お届けが完了しました」
え?なにも注文してない。
もちろん何も届いていない。
  
アカウントの注文履歴を見ると
覚えのない注文があった。
覚えのない商品が3点。
知らない人のところに配達完了。
   
最近アマゾンのフリをした
詐称メールが多く、
本気でメールをチェックしておらず
知らない誰かがした注文メールを
しっかり見落としていた。
 
とりあえずパスワードを変更し 
サポートダイヤルに電話をした。
  
アマゾンは24時間電話対応してくれる。
電話の向こうは間違いなく海外だけど
すぐに対応してくれて一安心。
24時間対応は本当に有難い。
   
カード会社や銀行の対応は
大抵が朝10時~18時なので
アプリでカードを一時停止にして
翌朝一番に電話をした。
こちらもすぐに対応してくれて
誰かの買い物代金を払わずに済んだ。
  
毎日詐称メールや迷惑メールが多くて
削除するのが朝のひと仕事になってる。
いちいち発信元やIPアドレスを
確認していられないし、
迷惑メールフィルタに
登録してもいたちごっこ。
 
あの手この手で不要なメールが届く。
口座のない銀行。持っていないカード。
アカウントのないネット通販サイトから
届くメールは開かず消してしまえばいい。
 
でも口座のある銀行やカード
アカウントのあるネット通販サイトは
知らん顔が出来ない。
メールが来たら開かずに
各々のアプリでログインして確認が安全。
 
「アマゾンっぽい」メールは
ここ最近、ほぼ詐称メールだから
アプリのメッセージ記録で確認しよう。

それにしても…
3点のひとつは、子供のおもちゃだった
不正利用されたことは腹がたつ。
でも怒りよりも、何だか悲しくなった。
  
みなさま。お気をつけください。

朝のルーティン

日中は暖かくても、朝夕は冷えて
11月らしくなってきた。
 
挨拶にもれなくついてくる言葉も
「暑いですね」から
「寒いですね」へと
まもなくバトンが渡る。

「寒いですね」という言葉
まだあまり耳にしないけれど
週末の雨が通り過ぎたら
季節は一気に進んで
一日に何度も聞く言葉になる。
  
暑く長かった夏の間
どこかで暑さを凌いでいた
お馴染みのご近所のネコ。
最近また見かけるようになった。
  
夏にはあれほど避けていた
太陽を浴びようと
最近は道路の真ん中や家の前で
遠慮なくのびのびと
長くなって寝転んでいる。
 
「暑い間どこにおったん?」  
と真剣にネコに話しかけてみる。
 
「うるせぇ」  
彼は微動だにせず
ちらっと視線だけで返事をする。
   
さて、これからの季節は
出かける前に車をコンコンと
ノックしながらひとまわりする。
 
寒い季節の朝のルーティン
   
車の下でまだ寝ているネコ。
無理やり起きてもらう。
車の下ならまだいいけれど
エンジンルームに入ったりすると
大変なことになる。 
 
「あなたのためなのよ」と
愛情を込めてネコを起こす。
車の下からあくびをしながら
迷惑そうに出てくるネコ。
  
「ゆっくり寝かせろよ…ったく」
抗議の視線に見送られて
仕事に出かけるのも
寒い季節。朝のルーティン。

あべのハルカス

事務所から谷町筋に出ると
南の空にハルカスが見える。

10年前にビルの名前を聞いた時、
「ハレ」と大阪弁の「やらかす」
の造語か…なるほど。
…と私は勝手に納得して
ずっとそう思ってた。
 
でも違った。ぜんぜん違った。

 こころ、晴るかす。
 みらい、晴るかす。
 やさしい光に包まれて
 心地よい明日が見えてくる。
 大阪の新しいランドマーク
 あべのハルカス。
 
名前の由来はこう説明されている。
 
「ハルカス」は
伊勢物語の一節に書かれた言葉
「はるかさむ」からの引用。
「はるかす」は
「晴らす、晴れ晴れとさせる」
という意味で使われていた言葉。
 
ふーん。そうなんだ。
正しい意味を知っても
10年間の思い込みは消えず
どうもしっくりこない。
    
ともあれ
60階の展望台からの景色は
大阪を一望できる
素晴らしい眺めだと聞く。
  
16階の美術館には行くけれど
私は展望台には行ったことがない。
高いところは嫌いじゃない。
どちらかと言えば高いところは好き。
でもなんとなく気が進まない。
 
300mからの大阪の景色を
見てしまいたくないのかもしれない。 
大阪を一望…というのは
大阪城の天守閣からの眺めでいい。
  
300mのハルカスは
雲が降りてくると
てっぺんが隠れて見えない。
あまのじゃく…だと思うが
下から見るこの景色がとても好き。
  
※「ハレ」
 儀礼や祭、年中行事などの「非日常」
 (もともと折り目・節目を指す概念)
 対して「ケ」は普段の生活「日常」
 日本の伝統的な世界観のひとつ

諭吉

お札が新しくなって3カ月。
まだ新札に対応してない自販機はあるけれど
よくお目にかかるようになった。

畳貯金や箪笥貯金の旧札は
新札にしないと使えなくなる…とか
色々うわさも飛んで
両替代行詐欺も結構あるらしい。

畳の下や箪笥の中の札束を
両替しなきゃ!と慌ててみたい。
 
さて、2024年新メンバーは
渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎
 
偽造防止技術がすごいらしく
高精細すき入れに、世界初の3Dホログラム
うん。きっとすごいんだと思う。

あくまでも個人的にだけれど、
樋口一葉と野口英世はともかく
福沢諭吉と渋沢栄一の選手交代が
どうも残念。

偉いとか偉くないとか
個人の功績がどうのとかではなく
私達は愛情を込めて一万円札を
「諭吉」と呼んできた。

お財布に諭吉が何人いるかで
懐の暖かさが違った。
諭吉1人が英世10人になったら
あっという間にお財布が寒くなる。

友人との会話でも「諭吉何人」
…と生々しい金額は言わない。
頭の中で諭吉が整列する。

が。「栄一」1人はなんか違う。
どうも馴染まない。言えない。

もうひとつ、
新札を目にした時の違和感は
日本のお札なのに中央に漢数字表記がない…
技術の結晶。高級な印刷と用紙。
でもなんか軽い…重みがない。
 
とぶつぶつ言いながらも
お財布に「栄一」が団体で来てくれたら
それはとっても嬉しい。
もちろん大歓迎!

まわり道

通勤路や事務所界隈一帯には
ほんの少し裏にはいると
上町台地に重なった歴史を
感じる場所がたくさんある。
  
通勤途中で路地や裏道があると
迷いなく吸い込まれてみる。
全く方向の違う路地に入ったら
その先で道が曲がっていて
道なりに表通りに出てみたら
ショートカットだったりもする。
  
その先がどうなっているか
予想はできるのだけれど
タイムトンネルのように
違う時代に繋がっていたり
全く違う場所へ出たら素敵だなと
いつも期待しながら歩く。
    
通勤路にたくさんあった
古い町屋もずいぶん取り壊され
昔話を聴かせてくれた
顔見知りになった人生の先輩も
会えなくなった方が増えた。
  
でもこの界隈には
いまも往時を思わせる風景が
色濃く残っている。
  
あれこれ想像しながら
まっすぐ歩けば20分の通勤路を
倍以上の時間をかけて歩く。
 
直線距離に近い道を歩くと
確かに早く到着する。
でもグルグル歩いているから
出会える場所やコトもある。

無駄に見えても
たくさん素敵なプレゼントを受け取り
朝からご機嫌で事務所に着いたり
気分よく家に帰れたりする。
 
人生も同じかもしれない。
まわり道や無駄に見えることが
本当はとっても大切なことで
意味があるのではないかと。

苔とサボテン

以前このDiaryに登場した
我が家に長くいるサボテン。 
 
数年前から赤ちゃんサボテンが
たくさん誕生するようになった。
お母さんサボテンは近いうちに
枯れてしまうのだろうと思った。
でもお母さんも元気で
赤ちゃんも増えた。
   
5月頃の大雨のあと
赤ちゃんサボテンがコロコロ床に落ち
手頃な鉢がなかったので
木が枯れて、苔も乾いた
ミニ盆栽の鉢にのっけておいた。
  
他の鉢植えと一緒に水をあげていたら
枯れたと思っていた苔が緑になり
眠りから覚めたように元気になった。
  
この苔とサボテンのペア。
無責任にポンと置いたけれど
よくよく考えると
本人たちにすれば迷惑な話。
 
湿気が好きな苔の上に
乾燥が好きなサボテン。 
  
サボテン用の鉢を用意するつもりが
どちらも元気だし
仲良くやっているようなので
このまま見守りたくなった。
 
いざこのままとなると
水は?光は?置く場所は?
どちらの好みに合わせる?
あれこれ悩んだ結果  
台所の窓際に置いてみた。
 
直射日光は当たらないけれど
光が入り明るく、風遠しもいい。
カラカラに乾かないし、
湿ったままにもならない。
つまり中途半端な環境に置いてみた。
  
水はサボテンにかからないように
小さな霧吹きで苔にしっかりと
かかるようにした。
  
あれから数か月。
苔の緑も濃くなり、
サボテンもスクスク育っている。
相反する環境を好むはずなのに
ちゃんと共存している。
与えられた場所と環境で
せいいっぱい生きてくれている。
  
苔とサボテンは
大切なメッセージをくれる。
 
環境を都合よく変えようとせず
自分たちも順応しながら
仲良くすればいいだけ…と。

遊園地

今年の夏もUSJやTDLは
アトラクション2時間待ちなんて普通
…な感じでにぎわった。
並んでいても、すぐに乗れなくても
そこは夢の世界。
  
遊園地という呼び方をするには
ちょっと違うなぁ…と思う。
 
大阪にもたくさん遊園地があった。
通天閣や天王寺公園もその名残り。
小学校の遠足や、友達同士、
家族で週末にサクッと行ける
遊園地があちこちにあった。
 
よく車で大阪から奈良へ向かう。
大和川沿いの道を走っていると
柏原あたりから川の向こうに
こんもりとした低い山が見えてくる。
「玉手山」だ。
   
今は斜面に建物が多く立ち
遠目で見ると面影もないけれど
こんもりした玉手山一帯には
明治41年~平成10年まで
西日本最古の遊園地があった。
 
春には山全体に桜の花が咲き
石川と大和川の流れを望み
山ひとつが遊園地という
自然豊かな素敵な遊園地だった。
 
近鉄沿線に住む小学生なら
一度は遠足で行った
身近な遊園地だった。
    
大型アミューズメントパークの台頭で
頑張っていた地方の遊園地は
惜しまれながら姿を消していった。
  
近鉄沿線では玉手山遊園地。
菖蒲池遊園地、奈良ドリームランド。
阪急沿線の宝塚ファミリーランド。
南海沿線の岬公園。
万博公園のEXPOLAND。
みんな個性的な遊園地だった。
  
玉手山は大和川と石川に挟まれている。
昭和3年に石川の対岸から
遊園地への通路として架けられた
吊り橋『玉手橋』は100年近く
玉手山と石川の対岸を繋ぎ
変わって行く玉手山を眺めて来た。

吊り橋が軋む音が悲しげなのは
気のせいではない気がする。