手帳

「今年もあと半年」と
つい先日まで言っていた。
でも気がつけばもう10月後半
2025年もあと2ヶ月と少し。
 
来年はもっと計画的に過ごそう。
毎年そんなことを言いながら
結局あっと言う間に年末を迎える。
 
でも手帳を見返すとそれなりに
いつだって公私ともに忙しい一年を
繰り返している気がする。
 
もう随分前から同じ手帳を使ってる。
薄く効率的に作られた手帳。
毎年色を変えているけれど
中身は同じ10月始まりの手帳。
人間が昭和なので週の始まりは日曜。
 
若い頃は1月始まりが好きだった。
でも予定の多い年末年始に
手帳を2冊見るのが面倒なので
10月始まりの手帳に変えた。
 
余裕のある9月末に準備して
ワードネットの創立記念日10月1日に
新しい手帳で新しい年度をスタート。
これが毎年恒例になっている。

スマホのスケジュールも使っている。
ジャンル別に色を変えて
スケジュール管理をしている。
遡ると2011年の予定まで
ちゃんと残っている。
 
でも紙の手帳は全く別もの。
細かいことまで書きこんで
ちょっとした日記に近い気がする。
 
スマホのスケジュールを見て
「そうだったなぁ」と思い
当時の手帳を探して開くと
その時の状況や心情的なこと
色々な情報が簡単に書かれていて
当時の光景が浮かぶ。
 
人生の大きな節目、冠婚葬祭
胸が痛くなるようなことも
簡単な言葉で手帳に書かれている。
 
AIが日常に使われ、技術が進んで
色々なことが効率的に処理されても
その瞬間を簡単な言葉に詰め込んで
書き込んだ文字にはかなわない。

新しい手帳は赤がベース。
楽しいこと、素敵なことを
たくさん書き込めますように。

万博

あと数日で大阪・関西万博も閉幕。
計画段階からすったもんだと
マイナスな話題が多かったけれど
予想をはるかに超えた来場者で
赤字も充分回避。
 
開幕前の「並ばない万博」は
「かなり並ぶ万博」になったけれど
どれだけ並んでもいい…と
何度も足を運んだ方が多くいる。
 
個人的には人混みが超苦手で
観光地での名物や名勝も
「並ぶならもういいかな」と
前まで行っても撤収するタイプ。

大阪・関西万博も最初から
「行かない気満々」だった。

そういう困ったヤツと知りつつ
「次回の日本で開催の万博は
 あの世からしか見れない」と
あれこれ計画してくれた人がいて
ただ後ろにくっついて行った。
   
大屋根リングとガンダムを見たら
帰ってもいいと思っていたが
9月末にもかかわらず
朝のゲートも10分足らずで通過。
予約不要のパビリオンを8つ。
花火も見てすんなりゲートを出て
10時すぎには家でゆっくりしていた。
 
大人気のミャクミャクも買わず
ナイジェリア館で民芸品をひとつ買い
お昼ごはんはファミマのおにぎり。
あちこち見て、色々な文化に触れ、
メッセージをたくさん受け取った。 
 
4つあるコモンズ(共同館)は
それぞれ知らなかった国もあり
経済・文化や国際情勢をはじめ
地域の複雑な事情なども
初めて知ることがたくさんあった。

ふと思った。

趣向を凝らした展示は別として
メジャーな国のことは
基本的なことも国際情勢も知っている。
でも決して裕福でないであろう国が
日本まで来て自国を紹介するブースは
見るべきブースだったのではと。
 
それぞれの楽しみ方がある。
お祭りとして楽しむことも素敵。
スタンプラリーも楽しい。
全館制覇を目標にがんばるのもアリ。
  
日本の木造建築技術を堪能した。
アムロが乗るにはちょっと小さいが
大好きなガンダムに会えた。
そして知らない国とも出会えた万博。
素敵な時間だった。

銀行

ここ数年事務所界隈でも
海外からの旅行客をよく見かける。
あちこちにビジネスホテルがあり
リノベーションされた町家・長屋
マンションを利用した民泊も多い。
 
オフィス街、長く続いた商業の町
そして生活の場所でもありつつ
大坂城と心斎橋界隈との間に位置し
熊野街道・暗越奈良街道を歩けば
色々な時代の歴史の重なりを
そこかしこに感じることができる。
  
残念なことに消防法上の問題で
長屋や町家が次々に取り壊され
ビルやマンションの建て直しもあり
どんどん町並みが変わっている。
 
変わったと言えば…銀行。
長堀通には銀行がたくさんあった。
厳密には「窓口のある銀行」
  
前事務所は「大和銀行」近くだった。
「りそな銀行」に名称変更された直後
3店舗が統合されて
口座はかなり離れた店舗に
勝手に引っ越してしまった。

そこでメイン口座を
「三井住友銀行」に変えた。 
数年前にここも統廃合となり
跡地はマンション建設中。
 
さすがに振込や移動はネットだが
会計上、通帳記帳が必要なので
残りページが無くなったら
「窓口のある店舗」のATMに
新通帳発行にいく。 
 
この数十年で銀行関係の雑用は
とっても便利になったが
情報をもらったり相談したり
そんなコミュニケーションがない。
銀行だけではなく何もかも
便利になってきたけれど
不便なアナログがすこし懐かしい。

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2025年10月1日
有限会社ワードネットは
30周年を迎えます。

阪神淡路大震災の年に設立し
いろいろな事がありましたが
多くの方に支えていただき
30周年を迎えることができました。
振り返ると感謝しかありません。
本当にありがとうございました。

これからも
どうぞよろしくお願いいたします。

WORDNET
代表取締役 市井利依

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デビュー

今年の夏は本当に暑かった。
いや、9月になっても
まだまだ過去形ではなく暑い。
 
外に出ると無意識に日陰をさがす。
大好きな通勤路もショートカット
地下鉄にあっさり乗ってしまう。

なんとなく町行く人を見ると
老若男女を問わず日傘をさしている。
長く生きてきたけど
今まで傘は雨の日だけのものだった。

8月の休日出勤の帰り道
地下鉄と私鉄の乗り換えで通る
デパートの「日傘コーナー」で
思わず立ち止まってしまった。

なんて軽い。なんて小さい。
これで晴雨両用?と感動。
「雨の日も使えるもんね」
…という言い訳が背中を押してくれた。
ついに「日傘デビュー」だ。

ところが買ったものの
電車を降りてバッグから取りだし
広げるのが面倒くさくて
太陽を浴びたまま突っ切っていた。
 
9月のある日の午後。
取引先へ西に向かって
駅から15分ほど歩く時に
やっと日傘デビューした。
結局、初めて使ったのは9月。
 
ちなみにデビューの語源は
フランス語の「début」
「dé-」(離れて)と「but」(目標)で
まだ目標に遠い状態のことで
つまり「物事の始まり」の意味。
もともとはビリヤードの
最初の一打の意味だったらしい。

使うと快適。
そんなに大層なコトだったのか?
もっと早く使えばよかった。

水都大阪観光

万博で賑わう大阪。
大坂城や通天閣、心斎橋だけではなく
オフィス街でも観光客を見かけます。
 
海外からの方は別として
他府県から万博に来られる方には
「水都大阪」も楽しんで頂きたい。
 
以前このDIARYでも
いくつか運河をご紹介しましたが
大阪にたくさんある運河は
秀吉の時代に整備されたものが中心
 
大坂城築城に伴う城下町の拡大で
水路中心に都市計画が進められました。
特に大川を中心に多くの運河を掘削。
そしてこの運河が米や物資を運ぶ
舟運ネットワークになっていきます。 

大阪は江戸時代に商業都市へと発展し
船場や中之島などが経済の中心に。
「天下の台所」の誕生です。
 
全国の年貢米が舟で運ばれ
蔵屋敷に集まり米相場の形成にも。
中之島周辺や道頓堀川などには
今もその名残が色濃く残っています。
 
さて、水都大阪の観光です。

陸と水上の両方から景観を楽しめるのは
水陸両用バス「大阪ダックツアー」
 
水都大阪の歴史を感じる観光なら
舟での観光がオススメ。
大川や道頓堀川を運行する観光船
「アクアライナー」
「とんぼりリバークルーズ」

舟からレトロ建築群や夜景を眺め
米や物資が運ばれた「天下の台所」
その舟運を追体験できます。

ちょっとお値段はお高めですが
水都大阪ならではの体験が。
大坂城や通天閣、心斎橋にプラス
「水都大阪」観光はいかがでしょう。

白蓮

毎年7月~8月の朝
藤原京跡の蓮の花に会いに行く。

紅色。淡い桃色。
白。絶妙なグラデーション
同じ色はひとつもない気がする。
 
水面が多くの葉で覆われ
見えない水面下にある根は
地下茎とも呼ばれて
泥の中を這うように伸び
太い茎のようになっている。

暑い夏に涼しい顔で
背筋を伸ばして咲く蓮の花。
夜明けに蕾が開きだして
太陽が昇りきると閉じる。

その風情からは
想像できない水面下。
そのギャップも含めて
愛してやまない花。

夜明けに蕾が開く時
「ポン」と音がする。
数年前に一度だけ
藤原京跡で聴いたことがある。

先日はじめて「白蓮」を見た。
葉も蕾も花も
びっくりするほど大きい。
「高貴」という言葉でしか
表現できない風情。

「蓮は濁りに染まらず」

仏教の世界観や象徴性と
深く結びついている意味が
わかる気がする。
  
白蓮が開く瞬間
そこに居たい。
蕾が開く音を聴きたい。
 
蓮の季節が終わる前に
その一瞬のために行く
きっととびきり贅沢な
夏の朝になる。

7月の空

ブルーインパルスが
大阪の空を舞った。

大阪・関西万博開幕時は
一旦飛び立ったが悪天候で中止に。
心待ちにしていた観客はもちろん
ブルーインパルス隊員の方々にも
残念な万博開幕となった。
    
再飛行決定のニュースが
7月になって飛び込んできた。
  
このところ国内外ともに
明るいニュースが耳に入ってこない。
戦争、災害、異常気象。
米をはじめ食品、ライフライン
あらゆるものの値上げ。
芸能人のゴシップに政治家の不祥事。
不安な気持ちやイライラ
ぶつけようのない憤り。
マイナスな想いを抱えて
下を向いてしまうこと多かった。
    
でも7月12・13日の午後
顔をあげて空を見上げた人が
どれほどいただろう。
 
大空に目を向けて
ドキドキしながら機影を探し
見つけた時には歓声をあげ
感動した人がどれほどいただろう。
 
ブルーインパルス隊員の方々は
厳しい訓練を積み重ねて
高度な技術と精神力と体力を身に着け
心のこもった一糸乱れない
素晴らしい展示飛行を魅せてくれた。
 
整備の方はもちろん、吉村知事
防衛庁や多くの関係者の方々…
大阪の空を飛んで欲しい多くの人
膨大な人の思いがひとつになって
2日間の展示飛行が実現した。
  
色々な考えや意見があると思う。
でも政治的なことも
思想も関係ない。
  
その瞬間
どれだけの人が日常を忘れて
顔をあげ空を仰いだか。 
どれだけの人の心がひとつになったか。
 
展示飛行が終わり関空へ向かう時
一機が描いてくれたラインは
モールス信号の「T」と「U」
「Thank You」だった。
 
こちらこそ本当にありがとう。

大空に描かれた白いラインは
一瞬で消えていったけれど
忘れていた感動や笑顔を
ブルーインパルスは残してくれた。 

安井道頓

先日珍しく夕方テレビをつけると
見覚えのある町並みが映っていた。
大阪府八尾市の寺内町。
   
コロナ禍によく歩いた町
自宅から旧大和川を30分ほど遡ると
1540年代の町並が残っている。
大好きな場所。
   
ちなみにテレビで取材していた
「八尾で見るドーナツみたいな石」は
「井戸の跳釣瓶の重石」だと思う。
その話はおいといて。
 
取材の案内人から
そのあたり出身と言われている
安井道頓の名前が出てきた。
   
安井道頓。
ご存知の方もおられると思う。
江戸時代初期に道頓堀の開削に私財を投じ
現在の大阪の礎を築いた人。
 
土木家・町人で、豊臣秀吉に仕え
大坂城の築城にも携わりその功績により
大坂城南の土地を与えられた。
  
大阪の物流に新たな水路が必要と
1612年頃から私財を投じて
東横堀川と木津川を結ぶ水路開削に着手。
自ら困難な工事の指揮を執った。
残念ながら
運河の完成を見届けることなく
大阪夏の陣で戦死。
  
道頓の死後、甥の道卜たちが
工事を引き継いで1615年に完成。
  
この運河は物資輸送の動脈となり
大阪の経済発展に貢献した。
大阪大空襲の時もこの運河で
延焼を免れたという場所もある。
    
「道頓堀川」の名称は
徳川幕府が安井道頓の功績を称えて
完成後に命名した。
  
往時の豪商や事業家は、
先見の明と公共心を持ち、
私財を投じて世の中に貢献した。
中央公会堂はもちろん
人名のついた多くの橋・運河・地名
大阪にはそういう場所が数多くある。
    
安井道頓もその一人。
今では道頓堀川は観光客で賑わい
大阪のシンボルになっているけれど
カーネルおじさんを投げ込んだり
飛び込んだりする場所ではない。
ほろよい気分でもいいから
往時を思って道頓堀川を眺めて欲しい。
   
道頓堀日本橋北詰にその功績を称える
「安井道頓・道卜紀功碑」がある。

政治家が呼吸するように嘘をつき
公共心とは程遠い不祥事が続く。
歴史に学んで頂きたいと思うのは
私だけだろうか。
  
  

残したい風景

大好きな通勤路も
雨が降っている時や
これから暑くなる季節で
太陽が真上にある時は
大人の判断で地下鉄に乗る。
 
乗り換えで結構地下道を歩き
ホームで待つ時間を考えると
時間的にも歩く距離も
地上を歩くのと
そんなに違わない気がする。
でも雨に濡れることも
直射日光で汗だくになることもない。
 
それでもちょっと爽やかな日には
通勤路を歩きたくなる。
 
こんなに何年も歩いているのに
足元に重なっている歴史と
その時代の様子が浮かんできて
いつだって新鮮な時間になる。
 
でもしばらく通っていない道を歩くと
大好きだった町家がなくなり
建築予定の看板があったりする。
 
取り壊したばかりの工事現場は
日本家屋を立てる時と異なり
地面を掘り返し鉄骨を打ち込み
コンクリートで固められて
胸が痛くなる時がある。

上町台地はどこを掘っても
時間を遡った色々な時代からの
メッセージが出てくる。
遺物が見つかったと申告すれば
調査などで工期が遅れるからと
見なかったことにする場合が多いと聞く。

そこにまた建物が立ち
歴史の層がひとつ重なっていく。
以前は次の時代へ残さないと…と
憤りを覚えたけれど
よく考えてみると今までも
そうやって歴史が積み重なってきた。

残念な気持ちに変わりはない。
大切に残したい気持ちも変わらない。
でもいつか遠い未来にここを歩く人が
今の時代を歴史の1ページとして
感じてくれますように…と思う。

今この時代に、ここを歩き
遠い時代へと想いを馳せてみる。
 
暗越奈良街道や熊野街道を
歩いた人がたくさんいる。
街道ができるもっともっと前
上町台地が海に突き出た
半島だった時代にも歩いた人がいる。

今そこを歩いていることが
光栄だと、幸せだと思う

ポチっと

ポチっと

仕事をしている時
なんとなくラジオをつけている。
シーンとしているよりも
雑音がある方が集中できたりする。
雑音の多い電車の中や
カフェで本を読むのも好きだ。

ラジオだけでなく周りの音を
聞いているような
聞いていないような感じ。

でもラジオの本紹介コーナーは
なぜかタイミングよく
一瞬集中が切れた隙間に入り込み
全集中力をもっていかれて
ダンボの耳になる。

好きな作家や好きなジャンルの本だと
手を止めてガッツリ聞いてしまう。

読みたいと思ったらもう止まらない。
すぐにAmazon
新品が許せる価格ならポチッ。
許せない?価格なら
中古本を探してみる。

こうしてポチッとした結果
ポストに届く本が本棚の前で
順番を待って重なっている。
絶対に読むのだけれど溜まる。

月3冊以上買わないルールを
一応作ってはいるけれど
展示会図録や古本の絶版など
買った月はかなり本代がかかる。
 
でも図録は通勤で読めないから
結局は月3冊単行本を買う。
そして月末の引落し金額を見て
寒くなることもある。

これはいけないと思い
家の本棚にどっさりある
好きな作家の本を月に1冊
読みなおすことにした。

でも…よく考えてみると
月3冊でも年間36冊しか読めない。
人生あと何年…と考えると
急いで読まなくてはいけない。

…とあれこれ言い訳をしながら
今月3冊目をポチッとした。