安井道頓

先日珍しく夕方テレビをつけると
見覚えのある町並みが映っていた。
大阪府八尾市の寺内町。
   
コロナ禍によく歩いた町
自宅から旧大和川を30分ほど遡ると
1540年代の町並が残っている。
大好きな場所。
   
ちなみにテレビで取材していた
「八尾で見るドーナツみたいな石」は
「井戸の跳釣瓶の重石」だと思う。
その話はおいといて。
 
取材の案内人から
そのあたり出身と言われている
安井道頓の名前が出てきた。
   
安井道頓。
ご存知の方もおられると思う。
江戸時代初期に道頓堀の開削に私財を投じ
現在の大阪の礎を築いた人。
 
土木家・町人で、豊臣秀吉に仕え
大坂城の築城にも携わりその功績により
大坂城南の土地を与えられた。
  
大阪の物流に新たな水路が必要と
1612年頃から私財を投じて
東横堀川と木津川を結ぶ水路開削に着手。
自ら困難な工事の指揮を執った。
残念ながら
運河の完成を見届けることなく
大阪夏の陣で戦死。
  
道頓の死後、甥の道卜たちが
工事を引き継いで1615年に完成。
  
この運河は物資輸送の動脈となり
大阪の経済発展に貢献した。
大阪大空襲の時もこの運河で
延焼を免れたという場所もある。
    
「道頓堀川」の名称は
徳川幕府が安井道頓の功績を称えて
完成後に命名した。
  
往時の豪商や事業家は、
先見の明と公共心を持ち、
私財を投じて世の中に貢献した。
中央公会堂はもちろん
人名のついた多くの橋・運河・地名
大阪にはそういう場所が数多くある。
    
安井道頓もその一人。
今では道頓堀川は観光客で賑わい
大阪のシンボルになっているけれど
カーネルおじさんを投げ込んだり
飛び込んだりする場所ではない。
ほろよい気分でもいいから
往時を思って道頓堀川を眺めて欲しい。
   
道頓堀日本橋北詰にその功績を称える
「安井道頓・道卜紀功碑」がある。

政治家が呼吸するように嘘をつき
公共心とは程遠い不祥事が続く。
歴史に学んで頂きたいと思うのは
私だけだろうか。