大阪の難読地名

昔「立売堀」でバイトをしていた。
まだPC98や富士通OASYSの時代。
この業界の入り口にいた。

その頃の話を…ではなくて
今日は難読地名の話。
 
この「立売堀」読めますか?

大阪には難読地名が多い。
なかには「それはないわ~」
と言いたくなるものもある。

でも難読地名は
歴史的事象、地形や自然、
外来語などに由来する
知ると納得するものが多いし
知ると読み方を忘れない。

たとえばこの
「立売堀=いたちぼり」
 
大坂冬の陣・夏の陣で
壕を掘った伊達家の陣地の跡を
掘り進めて出来た立売堀川の名残り。
 
でも字が違いますよね。
最初は「伊達堀=だてぼり」と
読んでいたものが「いたちぼり」
呼ばれるようになり
(間違って読む人が多くて
 そうなっちゃった気も…)
その後、伊達堀の一帯で
材木が立売されるようになり
「立売堀」の文字に。
そして読み方はそのままに。

この立売堀川は埋め立てられて
いまはこの地名が残るだけ。

その他の大阪の難読地名
「放出=はなてん」
「枚方=ひらかた」
「土師=はじ」
「柴島=くにじま」
「中百舌鳥=なかもず」
「喜連瓜破=きれうりわり」
「杭全=くまた」
 
上に並べた地名だけでも
神話に基づく地名や
ドロドロした由来もある。

地名の由来を調べると
その土地の歴史が見えてきたり
新しい発見と出会えます。

お住まいやお勤め先の地名
ちょっと調べてみませんか。

大和川

上町台地に関係ないようで
とっても関係ある大和川の話。

現在の堺市と大阪市の間から
大阪湾に流れ込む大和川は
もともと今の柏原から
大阪平野を北に流れていた川を
西へ付け替えた人工の川。

大和川の源流は
奈良県桜井市の貝ヶ平山。
上流部では初瀬川。 
奈良盆地を東から西へ
水の神様「廣瀬大社」の裏を通り
佐保川、蘇我川、葛城川、高田川、
竜田川、富雄川、蘇我川など
奈良盆地のほとんどの河川を合わせて
生駒山系と葛城山系の間を抜け
石川と合流し、今は西へと向かい
大阪湾へと流れていきます。
 
ですが大阪側の大和川は
江戸時代半ばまでは
石川と合流してから北へと流れ
本流の長瀬川(久宝寺川)をはじめ、
楠根川・玉串川・吉田川・古川など
多くの支流に分かれて北へ向かい
上町台地の北(今の天満橋辺り)で
淀川(大川)に合流していました。
  
大阪で支流に分かれた川は
天井川で、頻繁に氾濫があり
被害が絶えませんでした。
 
そのため西へ付け替える構想は
古くは奈良時代からあり、
初めての治水工事は仁徳天皇。
その名残が「堀」のつく大阪の地名。 
この地名の話はまた別の機会に。
 
その後も治水工事は繰り返され
多くの反対も犠牲もあり
大変な苦労を重ねて
今から320年ほど前の江戸時代
いまの西へ流れる大和川に。
 
大和川の付け替えといえば
昔から大阪府内の小学生は
4年生くらいの授業で習います。
江戸時代の付け替えを中心となり
進めた一人「中甚兵衛」さん
覚えていますか?

いまも柏原市安堂交差点北西角で
中甚兵衛さんは西を指さして
大和川を見守っています。