釣鐘屋敷跡

事務所から熊野街道を北へ
八軒屋浜へ向かい1.5㎞程歩くと
「釣鐘町」がある。
西に少し入ると左側に
その名の由来となった釣鐘がある。
  
3代将軍家光は1634年(寛永11年)上洛の折
二条城から船で大坂城へ入った。
三郷惣年寄達はこの時、
将軍に酒樽・鰹節を献じ祝賀の意を表じ
三郷をあげて歓迎した。
  
惣年寄達は城中に召され
各々紋服三領を賜り、加えて
大坂町中が地子銀の永代赦免となった。

当時三郷では巨額の地子銀を納めており
永代赦免はとてつもなく大きな恩恵。
後世子孫までその恩を忘れないため、
釣鐘を作り町中に時を知らせる事に。
その年の秋に完成した釣鐘屋敷の鐘は
2時間おきの1日12回撞かれた。
  
釣鐘は江戸時代に
4度の火災をくぐり抜けた。
その後、1870年(明治3年)撤去され
博物館など幾度も場所を移動。
1926年(大正15年)以降は大阪府庁屋上に
「大坂町中時報鐘」として保存された。
1985年(昭和60年)地元有志の尽力で、
釣鐘屋敷のあった場所に戻ってきた。

釣鐘は390年近い時を経て
いまも1日に3回時を知らせながら
長く長く刻まれたこの地の歴史を
ずっと伝えている。

どこの城下町にもあるように
大坂城を中心とした町の名前には
その場所が担った役割や歴史を
色濃く伝えているものが多い。
  
※三郷=大坂三郷
 江戸時代の大坂城下の3つの町組
 (北組、南組、天満組)の総称。
 現代のキタ・ミナミはこの名残。
※地子銀=現在の固定資産税

一夜だけの花

南船場に事務所があった頃
近くの駐車場のおじさんに
サボテンをいただいた。
   
今年そのサボテンの横に
顔を出した赤ちゃんサボテンは
小さな鉢に引っ越しをして
スクスク元気に育ってる。
 
このサボテン。
年に一回、夏の夜に蔓が伸び
その先に一夜だけの花が咲く。

私は毎年一回、夏の朝
ベランダの扉を開けて
30㎝~50㎝伸びた蔓の先に
しおれた花を見つける。
  
おじさんが覚えていないくらい
駐車場の片隅に長く居たサボテン。
おじさんも一度も咲いた花を見ず
蔓の先のしおれた花を見てきた。

蔓の先に花が咲く意味を
おじさんは話してくれた。
 
 せいいっぱい蔓を伸ばし
 水の少ない砂漠でお互いに
 水をとりあわず生きていけるよう
 子孫を残していけるよう
 できるだけ遠くに花を咲かせる。
  
今の事務所の前を下った所に
植木に囲まれた駐車場があった。
おじさんは何年も前に亡くなり
そこにはマンションが建ち
たくさんの植木たちももういない。 
 
耳さえ傾ければ
自然は私たちに色々なことを
語りかけ、教えてくれる。

今年もサボテンは月夜に蔓を伸ばし
その先に花を咲かせる。
きっと、白くて美しい花。